2 漁師として
学校でのいじめ
私は中学1年までしか学校に行っておらず、その後は登校拒否というのかな。なので、義務教育すら終わっていません。小学校は元紋別のコタン部落の小学校で、全員で14、15名いたのかな。それが中学校になると紋別市の南が丘というところにある全校生徒が1,400~1,500人もいる学校(紋別市立紋別中学校)に行くようになったんです。そうしたら、どこから私のことを聞いたか分からないが、いじめにあいました。授業中に鉛筆で突かれたり、休み時間になったら、鼻をつまんで臭い、アイヌは臭いと。こっちも1対1なら負けないけど、向こうはすぐ2人、3人と固まる。私と同じ小学校から行った子はクラスに誰もおらず、いじめにあっても誰も助けてくれない。それで「こんたら学校なんて来てたまるものか」と。向こうっ気だけは強くて、学校も行かなくなった。それで、親がやっていた漁師の仕事を10代から手伝うようになりました。
船を持つ
平成3(1991)年に15トン未満の船を造って4年間使ったのだけれども、漁師の言葉で船が「だおる」――波に向かって走ると鼻っぺがつぶれる感じ。斜めに走ると船がじれるような。それで、うちの息子が翌年から漁師を手伝うことになっていたのだけれども、この船では息子を乗せられないということで、平成7(1995)年に大きい船を造りました。
この船を造った目的は、イルカやクジラを獲ること。3m50cmぐらいの洗濯竿の先に、鉄の銛(もり)をつけたものにロープと電線をつける。これを投げてイルカやクジラを刺す。クジラ用の船の真後ろには鉄板のアルミがあって、そこからウインチで巻き上げる設備をつけた。
私は30年間ぐらい、イルカ獲りをやっていたんです。本州から松前、利尻・礼文まで、1カ月半ぐらいの間に4回、5回行ったり来たり。そこで学んだことは、食物連鎖。オホーツク海は、なんで海洋動物や魚が豊かかというと、植物性プランクトンの豊富な水がロシアから来る。
私、今から20数年前に頼まれてアザラシ獲りもやったことがあるわけ。流氷の合間をぬってね。その経験から言っても、流氷が融けだすと、氷の下から植物性プランクトンが出てくる。その植物性プラクトンを食べるためにオキアミが、氷の下3m、4mのところで集まって真っ赤になっている。そういうところでアザラシの親が子っこ(子ども)を持つ。これが食物連鎖。
海洋汚染
私が漁師としてもうひとつ言いたいことは、海洋汚染の問題。私が船で走るところは、だいたい樺太(からふと)から来る寒流と日本海の暖流が交わるところで、その潮目に、農家の人が使う飼料袋が口を開けて溜まっている。あとスーパーのビニール袋が浮いている。そのゴミだまりをかわすのによほど間隔をみておかないと、ビニール1枚でもエンジンが吸ったら詰まって過熱するんです。
自分が船を走らせるロシアから北海道の範囲だけでもこれだけのゴミがあるのなら、日本海や南のほうはどうなんだと考えると、それこそ将来は魚も食われなくなるんじゃないかと当時から危惧していました。こういうことは、机の上だけで考えていても分からない。宮城県の気仙沼(けせんぬま)に行くと、20トンぐらいの四角い船で船首のほうにゴミをすくい上げるギアをつけて油やゴミをすくい上げている。そうやってゴミ集めをしているのは、私が行った中では気仙沼だけでした。
海を守るには
私が危惧するのは、オホーツク海は世界有数の漁場と言われていたけれども、それはやはり自然に恵まれていたから。かつてはロシアから樺太にかけて、2人、3人手を回しても届かないような木がいっぱい立っていた。それがソ連が崩壊してロシアになってから、外貨を稼ぐために木をどんどん売っていった。だから当時は紋別(港)にも随分(ロシアからの輸入)丸太が入ってきました。自然を利用するなとは言わないけど、木を全部切ってしまうような皆伐(かいばつ)はやめてくれと言いたい。山も壊すしね、動植物のことなどみんなちゃんと考えているのかと。
行政の方がたも、熊が街に出てくれば熊がさも悪いようなね。そういう考え方は基本を捻じ曲げているのではないかと、私はそういう気持ちでいます。