植民地化とは、ある国が、他の国を統治下におき、そこに宗主国(支配者側)の住民の移住をすすめつつ、現地住民(先住民族)を統制するとともに、その国の資源を収奪していくことです。ここで言う「国」は必ずしも近代国家のみを指すのではなく、その民族特有の政体(ネイション)をも含みます。
たとえば、南北のアメリカ大陸において近代国家が建国された時、そこには様々な先住諸民族の「国家(ネイション)」が存在していました。アイヌ民族もまたコタンコロクㇽを中心とする独自の政体を有していたこと、江戸幕府も「蝦夷地のことは蝦夷次第」として、アイヌ民族の内政には干渉しなかったことから、アイヌ民族はネイションとしての国を形成していたと考えられます。
植民地化は、支配者側の住民は優秀な存在であり、先住民は劣った存在だとの認識を前提としています。そして、「優れた人種」が「劣った人種」を支配することは当然のことであるとされ、宗主国の植民地支配を正当化しました。このような考えを植民地主義といいます。植民地主義は、人種に優劣があるとの判断に基づいている点で、人種差別です。植民地化の過程で生み出された様々な制度は、宗主国の利益を優先し、現地住民を社会の周辺においやるとともに、植民地社会の底辺に位置づけるものでした。このような人種差別を、構造的レイシズムと言います。
植民地主義は暴力を伴う
植民地化は、いくつもの暴力を伴っています。
まず、移住者が植民地に持ち込んだ病気です。世界中の植民地において、入植後僅(わず)かの期間に、天然痘やはしかなどの病気によって先住民族の人口が激減しています。
暴力の第2は土地や資源の収奪です。先住民族にしてみれば、自分たちが使用してきた先祖伝来の土地が宗主国の「国有地」とされたり、入植者の「私有地」とされてしまったりするのです。また入植者の増加によって、市外に強制的に移住させられたりすることも少なくありません。明治初期、小樽市街に住んでいたアイヌ民族は、家屋を焼き払われ、高島郡へと移住させられました。また宗主国は禁猟や禁漁の法令を公布し、「合法」的に先住民族の資源を収奪しました。その結果、多くの先住民族が命の危険に晒されてきました。明治期、禁漁によってアイヌ民族の中からも餓死者が出ています。
暴力の第3は、先住民族の言語や文化への弾圧です。植民地化の過程では、先住民族の言語や文化を「陋習(いやしい慣習)」とみなし、様々な方法で禁止しました。学校は先住民族の言語の仕様や文化的実践を禁じるとともに、宗主国の国語や文化を身に付ける場となりました。先住民族に対する教育は必ずしも支配者側の住民と伍するに足る教育内容をもたないために、多くの先住民族にとっては、先住民族としてのアイデンティティを喪失させる一方で、支配者側住民と比肩する学力や教養、技術を得ることも困難でした。このようにして「先住民族の世界」からも「宗主国の世界」からも「脱落」する者も多く、貧困や薬物・アルコール等への依存に陥る原因となりました。
第4に、先住民族は、直接的な暴力にも晒(さら)されています。アイヌであることを理由に石を投げつけられたり、暴行を受けたりした人も少なくありません。アイヌ民族に対するヘイト・スピーチも巷間に溢(あふ)れています。このような状況の中で、先住民族は口を閉ざし、自分が先住民族ないし先住民族にルーツを持つことを隠したり、子孫にそのことを伝えなかったりする状況が生まれています。このような状況を「魂の植民地状態」と言い、この精神状況は世代を超えて継承されるものです。また、民族の誇りが踏みにじられ、抹殺される状態は、「魂の殺人」と呼ばれています。
広瀬 健一郎 鹿児島純心大学人間教育学部教授