10月~3月 講座開催中「先住民族の森川海に関する権利 5—アイヌ先住権を“見える化” する」

国際社会と先住民族の権利 

自由学校遊 24年後期講座:先住民族の森川海に関する権利 5—アイヌ先住権を“見える化”する

12月2日(月) 第2回
国際社会と先住民族の権利

●鵜澤 加那子(うざわ かなこ)
 アイヌ研究者、アーティスト、アート・文化アドバイザー
 AinuToday.com の創設者
 北海道大学 先住民・文化的多様性研究グローバルステーション(GSI)助教
 オスロ大学歴史博物館研究員
●八重樫 志仁(やえがし ゆきひと)
 森川海のアイヌ先住権研究プロジェクト代表
 Rehe Isam 代表
●永井 文也(ながい ふみや)
 森川海のアイヌ先住権研究プロジェクト運営委員
 市民外交センター副代表

(肩書は講座開催時のものです)

前半は鵜澤加那子さんにご自身のこれまでの歩みと国連参加に関して、そして今後の展望をお話しいただきました。後半は永井文也さんと八重樫志仁さんに、2024年7月に行われたEMRIPへの参加報告を行っていただきました。

もくじ

世界先住民族の中のアイヌ民族(鵜澤)

私にとってのアイヌ民族とは

子どもの頃は学校の長期休みの度に生活拠点の東京から、母の実家がある二風谷に帰省していました。当時はまだ二風谷ダムが出来ていなかったので、森や川など豊かな自然の中で遊びました。アイヌ文化が活発な二風谷でしたので、私にとってアイヌ文化は特別なものではなく、空気のような感じで常に身の回りにありました。ただ、東京に帰るとなぜか「アイヌ」という言葉を周りの人が一切口に出さないことを不思議に感じていました。

15歳の時、萱野茂さんのアイヌ語教室の関連で、ブリティッシュコロンビア州(カナダ)のアラートベイという島を訪れました。その時に、同年代の先住民族の子ども達が誇りを持って文化活動をしていたことが、私自身のアイデンティティを考える一つのきっかけになりました。

同じ頃に、ちょうど祖父(貝澤正)と伯母が二風谷ダム裁判の最中で、弁護士と会話をしている中で「アイヌであるということが差別されることだ」と話しているのを耳にしました。今まで二風谷では差別を感じたことはなく、アイヌ民族への差別があるということは知らなかったので、非常に驚きました。

その後、東京で大学進学をしましたが、早稲田にあった「レラチセ(アイヌ料理店)」でアルバイトをはじめ、東京のアイヌコミュニティとつながりました。そこで様々な世代、様々な地域出身のアイヌの方たちから歌や踊りを習うことになり、レラチセは大学に行かなくなるほど「大学よりも学びの多い場所」「みんなでアイヌとしての一体感を感じられるコミュニティ」でした。

その他にレラチセでは、アイヌ語は文字はない言語とされていますが、私にとっては生きた言語だと強く感じました。今、若いアイヌがSNSやYoutubeを通じてアイヌ語を発信していることも、素晴らしいことだと思っています。あと、アイヌ民族の食文化などについても学びました。キトピロ(ギョウジャニンニク)も、和人から「臭い」と言われアイヌ差別に使われたので「食べないほうがいいよ」と言われました。

少し話は戻りますが、8歳くらいの頃、アイヌ権利活動家、二風谷コミュニティのリーダー的存在であった祖父・貝澤正に言われた言葉を今でも覚えています。「シサム(和人)と同等になるには教育が絶対に必要。大学には行って欲しい」というものでした。女性であればなお更で、自立して生きていけるように大学に行きなさいと言われて育ちました。その言葉が自分の胸の中に強く残っていたので、大学に行かないという選択肢はありませんでした。こういう経験があって、今の自分があると思っています。

その祖父が闘った二風谷ダム裁判の話を少ししたいと思います。1997年に札幌地裁は、国際自由権規約第27条や憲法第13条に基づき、北海道において、アイヌ民族を特有の文化と言語を持つ民族としての先住性を認めました。また、文化享有権の侵害を認め、二風谷ダムの建設にかかる土地収用は違法であると認めたのです。この判決は、当時の政府の見解と違ったので日本だけでなく世界でも注目を集めました。もしかすると、海外の方がこのケースは有名になったかもしれません。理由は、これは私の個人的な意見ですが、先住性、先住民、先住民族という言葉が、(日本で)初めて出てきたことが大きかったと思います。

文化享有権の侵害:実際、二風谷ダムの建設により、アイヌ民族が大切にしてきたチノミシリ(災害を防いだりする祈り)をする神聖な場所や山菜を採る場所が破壊されてしまい、エカシ・フチと若者の文化継承に影響を及ぼしたとされている。


アイヌ民族の国連参加

1986年に当時の中曽根康弘首相が「日本は単一民族国家だ」という発言をしましたが、これは世界ではもちろん受け入れられませんでした。こういう背景もあり、1987年から先住民族の作業部会に参加されていた、当時北海道ウタリ協会理事長の野村義一さんが1992年に国連総会で開催された「先住民族の国際年」に参加され、アイヌ民族として初めて記念演説を行い、アイヌ民族は存在する民族だと主張されました。当時はまだ、アジアからの参加者は少なかったので、国際的にこのスピーチは注目されました。

私も1995年~2006年までは、東京在住のアイヌ民族の若者として、先住民族の権利に関する国際連合宣言(UNDRIP)の草案会議にほぼ毎年参加しました。そして、国連や国際法に関して学んでいったのですが、それらの経験が、今の活動につながったのではないかと思います。私が参加していた草案作業部会では、どんな言葉が使われるべきか、どんな先住民族の権利が守られるべきなのか、などが審議されました。先住民族出身の弁護士なども多く参加して、専門的な内容も話し合いました。

ただ、この宣言に法的な拘束力はありません。しかし、先住民族の生活環境や権利に影響を与える可能性がある開発プロジェクトやNGO等の活動時に、ガイドラインとしての活用が期待されたものでもありました。2007年、先住民族の権利に関する国際連合宣言(UNDRIP)が国連で採択され、日本も宣言に賛成します。翌2008年に、日本政府はアイヌを先住民族と認めましたが、この時は法的に認められたのではなく、日本に先住していた人々ということが認められました。法的に、アイヌ民族が先住民族と認められたのは2019年のアイヌ施策推進法です。ただし、2008年の時点でも、2019年の推進法でも、権利については何も述べられておらず、例えば集団の権利、自決権などは含まれていません。

まだ、向き合わなければいけない問題は多々ありますが、私自身が国連活動に効果があったのか?と聞かれたら、効果は大いにありました、と答えます。理由として、1.国連における先住民族の参加形態になったこと、2.アイヌ民族の実態を知ってもらえたこと、3.世界先住民族の状況を知ることで、歌や踊りだけではなく、自らの権利発展についてより考えるようになったこと、4.メディアや国連などを通し世界からの外圧は現状を大きく変える可能性があるということを知った、などが挙げられます。若いときから国連に参加することで、世界に発信ができるようになったと思っています。

現在の活動とこれからの課題

私は現在ノルウェー在住ですが、日本から離れていても出来ることをやろうと、AinuTodayというウェブサイトを立ち上げました。国際的な場に出るようになると、もっとアイヌ民族に関して知りたい、学びたいという声が海外で増えてきて、質問もたくさん受けました。ですので、文献、権利に関しての行動、自分の作品も含め、アイヌの現代アートを誰にでも見てもらえる、誰もがアクセスできるような窓口になるように、という思いで作りました。

今は博物館のキュレーターやアーティストとしても活動をしています。もともと好きだったアイヌ民族の歌や踊りを、コンテンポラリー風にしてパフォーマンスしています。 昔は、伝統を守るということが大切だったので、(伝統の踊りを)少しでも変えると周りに注意されるのではないかと心配でした。でも、今ではそれも自分の個性として受け止められるようになり、今では色々な国から声がかかるようになってきました。ドイツ、ケルンの博物館から私の作成したアイヌコンテンポラリーダンスの作品を展示しないか、と声がかかった際には、その作品に加え、ドイツからの遺骨返還に関するビデオも作成する機会もいただきました。ドイツは初めて海外からアイヌの遺骨返還がされた国という経緯もあったからです。また、ドイツにはたくさんのアイヌ民具があることも重要な点でした。

その他にも、ミシガン大学美術館のアイヌアート展のキュレーターの仕事の一環として、アメリカの博物館にも多く所蔵されているアイヌコレクションを見たりなど、様々な博物館を回ってきました。ブルックリンの博物館では、子ども用のアイヌの着物がコレクションの中にありました。母親の愛情が感じられるとても愛らしい着物です。きっと、家族のいろいろな思いが詰まった大切な着物だったと思います。でも、そんな大切な物をどのように手に入れたのか、という疑問は残ります。また、現存する資料から分かってくる真実もあります。例えば、家に入ってきて無理やり持って行ったり、お金渡して持っていくなども実際にあったようで、活動を通して新たな気付きもありました。

今後の活動としては、2026年秋開催予定のミシガン大学美術館のアイヌアート展で、今までの博物館の展示は男性の物が中心だったので、女性の物語性のある展示会を企画しています。また、先住民族の存在をアピールするということでアートパフォーマンスも行っています。例えば、植民地化の下で建てられた博物館で先住民族として踊るなどの自己表現です。引き続き、世界各国で様々なパフォーマンスなどを通して、先住民族やアイヌ民族に関する活動を継続していきたいと思っています。

撮影:スーザン・ダイン

EMRIP参加報告1:2024年第17会期 EMRIP参加詳細報告(永井)

EMRIP(エムリップ)とは?

正式名称はExpert Mechanism on the Rights of Indigenous Peoples(先住民族の権利に関する専門家機構)と言います。国際連合機関の一つで、スイス、ジュネーブにて毎年7月頃に約1週間、会合が開かれます。先ほどの話にありました先住民作業部会と入れ替わる形で2008年から始まった機関で、人権問題を取り扱う国連人権理事会という組織の補助機関という位置づけです。現在はアジア、アフリカ、北極圏など7地域から選出された7名の委員がいて、全員が先住民族です。

先住民族の国連への参加は、国際連盟時代の1923年からの働きかけがあり、直接参加は1982年から始まっています。ですので、2024年は101周年目の年です。

「国連」や「国際会議」という言葉を聞くと、国家の代表が主に集まって話し合っているイメージを抱く方も多いと思います。実際、国連で開かれている様々な会議には、国の代表が集まって会議を行っている物が中心です。さらに、国連協議資格を有するNGOなども参加できたりもします。

一方、EMRIPの特徴は、もちろん国家の権限が強いところもありますが、協議資格の有無は関係なく、先住民族であれば誰でも参加や発言が出来るところです。議場でも、(国家の代表ではない)先住民族の代表と国家の代表が混ざって着席しています。他の会議では、国家の代表は前方の決まった席に着席するので、ここは大きな違いではないでしょうか。直接参加の実践実態は、先住民作業部会が出来た1980年代頃から継続されています。

EMRIPの会合風景

EMRIPの役割

EMRIPにより先住民族の権利に関する特定のテーマの調査や報告書の作成が2008年から行われています。例えば、テーマ別の調査としてこれまで教育、意思決定やその参加、文化遺産、健康、子どもの権利、軍事化、土地、自己決定、条約などに関して取り上げてきました。加えて、2016年からは特定の国家に、先住民族政策や権利が守られるような助言やサポートなども行う任務も担い始めました。

2024年7月 第17会期EMRIPへの参加

2024年7月の第17会期EMRIPでは、以下のような参加・活動を行いました。それぞれに関して、簡単に説明したいと思います。

本会議前の事前準備と会議

本会議に向けて先住民族の代表、参加者やサポーターが集まり、本会議の進め方の確認や議論を事前に行いました。この場にEMRIPの委員7名全員が参加していたので、直接委員に対して質問や意見も出来ました。本会議とは異なり各国の先住民族の代表同士が議論できる重要な場で、先住民族中心の「総会」、とも見えたかもしれません。その他に、地域ごとの先住民族同士で準備会合も行い、私たちはアジア地域の議論に参加しました。

②本会議への参加

本会議は、先住民族の伝統的なセレモニーや祈りから始まります。午前3時間・午後3時間(計6時間)の会議が行われ、それぞれ特定の議題について議論が行われます。第17会期は各国の憲法や法、政策や裁判におけるUNDRIPの国家による尊重が主要な課題でしたが、他にも様々な継続課題やフォローアップがありました。これらの議題では口頭声明を読むことができますが、声明は事前登録制で、基本的に1人3分と時間が限られています。今回、後に発言いただく八重樫さんは、アイヌ施策推進法、ラポロアイヌネイションの裁判に関しての声明を準備していましたが、登録人数が多く時間の関係で残念ながら声明を読めませんでした。そのため、八重樫さんの予定していた発言をプリントアウトしたものを委員などに渡したりメールしたりして、多くの方々に読んでいただきました。

③サイドイベント

口頭声明の時間だけでは、全ての情報を十分に共有することは非常に難しいです。そこで実施できるのが、現状の詳細な説明や情報共有などを、国連の中で正式に行えるサイドイベントです。今回、私たちもサイドイベントを行いました。

八重樫さんのムックリ演奏から始まり、アイヌ施策推進法、ラポロアイヌネイションの裁判に関して、それに加えて、観光化、教育、格差、土地と資源など、様々なアイヌ民族を取り巻く課題の報告が行われました。その他に、一緒に参加された琉球の方からの報告も、軍事基地や環境問題などについて行われました。

朝9時から開始したので最初は参加人数が少なかったのですが、最終的にはアジア、カナダなど各国から約30名と多くの方がアイヌ民族や琉球民族の現状に関心を持たれていました。

④その他

人権の保障は、国家だけではなく企業の責任も大きいです。そこで昨年(2023年)訪日調査を行ったビジネスと人権の作業部会のアシスタントとの情報共有も行いました。具体的には、アイヌ民族の文脈における森林認証制度と森林課題、再生可能エネルギーと自然破壊などについて共有しました。

また、日本政府の国連代表部に訪問し、大使や職員と意見交換を行い、先住民族の権利に関する課題に関して話をしました。八重樫さんや琉球からの参加者も意思表明を行いました。

八重樫さんは、実際に2023年、24年とEMRIPに参加していかがでしたでしょうか?

EMRIP参加報告2:八重樫さんがEMRIPに参加した感想、考えたこと(八重樫)

率直に言って、国連に行ってEMRIPに参加出来たことは、非常に意義のあるものでした。UNDRIPを通して、今後日本政府に対してどのように闘うのかを知り、根拠を得られました。加えて、琉球民族との出会い、世界の先住民族との出会いがあり、皆で共闘したいと思え、そういう視点を持つことができたことは、私にとって国連での大きな収穫です。

皆さん、国連のホームページを見られたことはありますか?私は、EMRIPに参加することが決まってからホームページをよく見るようになりました。

この中に「人権の保護」に関するページがあります。日本ではなぜか「人権」と「義務」はセットで考えられている傾向があると思うんです。例えば、生活保護を受給されている方々が、税金を払うという義務を果たしていないのに、自分の権利を主張して生活保護を申請することに対して、(国民の)義務も果たしていないのにどうして自分の人権(権利)を語るのか?という感じです。

そこで先ほどの国連のホームページに戻るのですが、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)で、人権がどう定義されているか、どういう条件があるかというと、人間として生まれてくるだけで、学歴、納税など何も関係なく人権がある、人であれば誰もが持っているのが人権で、何人もそれを奪えない、とされています。何か義務を果たさないと人権がない、というようなことは一言も言っていません。

国連が言う義務は、国家が負うものだと言っています。尊重する義務(国家が人権を制限することは控える)、保護する義務(国家が個人や集団を人権侵害から守る)、果たすべき義務(国家が基本的に人権の享受を促進するために行動する)とかは、国がやらなければいけないことなんです。国民の人権などに関する意識を変えていくための啓発活動は、本来国が行わなければいけないということですよね。私はこれを読んで非常に納得しました。でも日本を見てみると、この部分の理解が乏しく、大きく世界から引き離されてしまっています。こういう日本と世界の違いも、国連に実際に行ってみて初めて感じた部分でした。

参加者の感想、コメントのまとめ

国連でどのような会議が行われているのか、実際に誰が参加しているのか?という情報はなかなか得にくいという現状が、感想からも多くみられました。実際に国連に行ったり、国連を一つのきっかけとして世界で活躍されている3名のお話は、多くの参加者の方々に、「どうして私たちは今まで何も知らずにいたのか?」「世界の動向を見ると、日本の先住民族に関する関心度、対応はこのままでいいのか?」という大切な問いを抱かせてくれるきっかけとなったと感じます。

Q and A

質問1(会場参加者)(鵜澤さんへの質問)
アイヌのことを学ぶ中で、北欧の先住民族であるサーミについても学ぶ機会があり、アイヌの人々との比較という観点から興味を持ちました。ノルウェー、フィンランド、スウェーデンのサーミの教育システムの現状を教えていただきたいです。
また、先日、フィンランドのサーミ評議会議長であるアスラック・ホルンバルグさんのお話を聞く機会がありました。その中で、再生可能エネルギーの開発が先住民族の土地を奪う「グリーン・コロニアリズム」の問題について触れられていました。ノルウェーでは、この問題に対してどのような現状や課題があるのでしょうか?

アスラック・ホルンバルグさん(英語のページ) フィンランドのサーミ評議会議長を務める一方で、フィンランドとノルウェーの国境を流れるデットヌ川でサケ漁を営んでいます。また、先住民族の権利運動の連帯のため、世界中を飛び回りながら精力的に活動を続けられています。2023年5月には、北海道浦幌町で開催された国際シンポジウム「先住権としての川でサケを獲る権利:海と森と川に生きる先住民族の集い」に参加し、サーミの直面している様々な問題や権利運動の現状について報告を行われました。その報告内容は、こちらの書籍に収録されています。『つながろう、たたかう世界の先住民!国際シンポジウム2023「先住権としての川でサケを獲る権利」報告集』

鵜澤:ノルウェー、フィンランド、スウェーデンの中でも、ノルウェーには特に多くのサーミの人々が居住しています。ノルウェーでは、サーミ議会が非常に機能的であり、潤沢な予算が確保されています。これは、ノルウェーが世界で初めて国際労働機関(ILO)の第169号条約を批准したことに由来しています。この条約は、先住民族の同化を目的とせず、彼らの権利を保護するものです。草案作成の段階から先住民族自身が関与していた点も特筆されます。ノルウェー政府は、サーミに関する事柄にはサーミ議会の諮問機関と協議を行う義務があり、この仕組みにより資金の助成など、組織化が進んでいます。

また、言語の面では、ノルウェーにはサーミ法があり、サーミ語の幼稚園に通ったり、大学で学んだりすることができます。このように、ノルウェーでは日常的にサーミ文化が浸透しており、毎年2月6日は「サーミの日」として祝われ、サーミの人々が伝統的な衣装を着て盛大に文化を祝います。

しかし、法整備が進む一方で、サーミ文化の軽視や差別といった課題も依然として存在しています。スウェーデンやフィンランドの現状については詳しくありませんが、ノルウェーにおいてもまだ改善が必要な部分が多いと感じています。

アスラック・ホルンバルグさんとは、実は同じプログラムで学んだご縁があり、二風谷で開催された先住民族のシンポジウムでアスラックさんを紹介しました。その後、アスラックさんとアイヌ民族との交流が続き、非常に嬉しく思っています。

ノルウェーでは風力発電がサーミの伝統的なトナカイ牧畜に悪影響を及ぼしています。トナカイは風力発電施設から発せられる音などに敏感であり、この問題はトナカイ放牧に従事するサーミの人々にとって深刻な課題となっています。

質問2 (会場参加者)(鵜澤さんへの質問)
初めて国連の会議に参加された際、どのように感じられましたか?また、最近の国連会議では若者の参加者のための特別な席が設けられることが増えていますが、先住民族会議においても、若い参加者向けの席や枠が用意されていましたか?

鵜澤:私が初めて国連の会議に参加したのは、おそらく19歳の時でした。その頃は自分なりに勉強して臨んだつもりでしたが、実際には全く何も分からない状態でした。英語も片言で、会議の内容が理解できず、何の意味があるのだろうと思ったのを覚えています。次につながらないようにも思えました。

しかし、その後、市民外交センターの支援を受け、毎年会議に参加するようになりました。その経験の中で、特にアジア地域のネットワークとつながることができたのは大きな成果だと思っています。アジアの先住民族が集まり、会議を開いたり、戦略の立て方や政府との交渉方法、問題の定義について議論する場が設けられていました。今でもそのネットワークを通じて繋がりが続いている方々がいます。

また、国連の作業部会にはおよそ1000名ほどの参加者がおり、多くのサイドイベントが開催されます。音楽や食事を通じて交流する場も多く、世界中の先住民族が集まるこのような場で、たとえ3分間の発表でも行うことには大変意義があると感じています。

質問3 (会場参加者)(永井さんと八重樫さんへの質問)
EMRIPのサイドイベントでは30人ほど参加があったと伺いましたが、どんな質問やリアクションがありましたか。

永井:サイドイベントでは、特にアジアやカナダからの参加者が目立っていました。琉球から参加し、登壇されたまつださんが、報告の中で基地や環境問題について話された際、女性に対する暴力にも触れられました。これに対し、カナダからの参加者が、カナダ社会全体で深刻な問題となっている先住民族女性の失踪や殺人、暴力について言及し、気持ちを共有する場があり印象的でした。

八重樫:私も国連のホームページを見ていて、先住民族女性と非先住民族女性が直面する暴力や被害の状況には大きな違いがあると感じていました。琉球における先住民族女性への暴力について、まつださんが涙ながらに「今すぐ止めたい」と訴えられた場面は非常に印象的でした。

また、カナダからの参加者が私に「私たちに何かできることはありませんか?」と質問してくださいました。それに対し、「アイヌは人材、財力、コネクションのいずれも十分ではありません。ぜひ皆さんの助けをお願いしたい」と率直に訴えました。

質問4 (オンライン参加者)(鵜澤さんへの質問)
先ほどの発表スライドの中で、鵜澤さんの踊りの写真が非常に印象的でした。現在の芸術活動において、踊りがどのように役立てられているのか教えていただきたいです。

鵜澤:はい、とても役立っています。東京でみんなと一緒に踊った思い出は、私にとってとても大切なものです。現在のアイヌの踊りは、エンターテイメント要素が強く、人に見せることを目的としたものが多いですが、本来の踊りは、みんなで楽しむものでした。祝いの席で場を盛り上げ、一体感を生むような踊りで、私はその雰囲気が大好きでした。この思い出が、私の活動の原点になっています。

日本を離れて遠くに住んでいるとなかなかみんなで踊ることができないので、他のミュージシャンの方と協力して音楽作品を作ったり、アイヌの踊りを一部取り入れたり、自分なりの創作も取り入れたりしています。これらを通して自分の昔の思い出に繋がるようにしています。

このような取り組みが面白いと評価され、カナダの先住民族のダンススクールに招かれ、他の先住民族のダンサーたちと作品を作る機会もありました。また、先週ノルウェーで行ったパフォーマンスでは、北ノルウェーで撮影した写真をプロジェクターで映し、その後ろで私が踊る影絵のような作品を演じました。その時には、バッタキというバッタの踊りを踊りました。このように楽しみながらやっています。日本でも機会があればぜひ公演したいです。その際はよろしくお願いします。

(まとめ:双木麻琴、七座有香)

さっぽろ自由学校「遊」
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