2025年2月15日、森川海のアイヌ先住権研究プロジェクトの発信活動の一環として、富山市で講演会「盗まれたマイノリティ・ライツ」を開催しました。
当日、富山空港に着くと、天気は快晴。同じ雪国ではありますが北海道から行くと春のような暖かな陽気でした。富山の街からは、立山連峰がきれいに眺められます。当日入りの二人(八重樫さんと筆者)は、すぐに会場近くの白銀町公園へ。ここで前日入りしていた平田さんと合流、まずは公園にある大きな木の下で集会の無事を祈るカムイノミを行いました。
その後すぐに、会場であるほとり座へ。富山市街地にあるおしゃれなミニ・シアターです。会場では既に準備が整っており、受付で一足先に着いていた上村さんがお出迎え。今回の富山受入れを快く引き受けてくれたPECとやまの堺さんとも合流できました。
今回の講演会は、講師役の平田さんの出身地である富山で開催したいというところから話がはじまったのですが、以前からSDGs市民社会ネットワークなどで一緒に活動していたPECとやまの堺さんにメッセージを入れてみたところ、「やりましょう!」と即答で快諾いただき、また富山市主催のSDGsウィーク参加企画として登録してもらうことができました。講演会には会場に20名ほど、オンラインで45名ほどが参加しました。
はじめにプロジェクト代表の八重樫さんより開会の挨拶。「シビックプライド」を掲げる富山市の姿勢に触れながら、アイヌ民族に対する差別やヘイトが止まない現状などについて紹介されました。
平田さんによる講演では、現在アイヌ民族が直面している二大テーマといってもよい二つの問題について話されました。ひとつは、タイトルの通り「盗まれた」、アイヌ遺骨をめぐる問題です。かつてアイヌ墓地から多くの遺骨を持ち去った東京帝国大学教授の小金井良精の手記などに触れつつ、現在も解決に至っていない遺骨問題が紹介されました。
もうひとつは、こちらも現在、アイヌ民族から問題提起されている河川でのサケ漁をめぐるテーマです。明治期以降、今日に至るまで日本においては河川でのサケ捕獲が原則禁止されています。しかし、川に上ってきたサケが本当に保護されているかというと、そうではなく人工ふ化増殖事業のために河口で捕獲されてしまいます。2023年度の実績では、約335万尾の川サケがこの目的で捕獲されているとのこと。ところが、孵化場で受入れ可能な数は120万尾程度で、その二倍前後のサケが毎年捕獲されており、余ったサケは実際には市場に売られているのです。一方、アイヌの儀式用に許可されているのは2023年度の実績で657尾のみです。特別採捕(トクサイ)という同じ制度による許可ですが、条件が全く異なっていることが示されました。
後半は、会場の配置を円形に変えて、八重樫さんの進行で一人ずつ自己紹介をしたあとに質問や意見交換。富山は北海道への移住者も多いこと、昆布などアイヌの労働に支えられた産品の消費地であることなど、参加者の方からもその関わりの深さが紹介されました。
今回の講演会、当初は「なぜ富山で?」という声もあったのですが、実際に行ってみて富山開催にはいくつかの意義があったと感じています。
ひとつは道外の地方都市で開催することの意義です。北海道内を含め、どこであってもアイヌ民族の人権問題についての情報は少ないと思いますが、それでも北海道内や首都圏などではまだ関心さえあれば、情報に触れる機会もあるかと思います。しかし、道外の地方都市においてはほとんど触れる機会がないのではないでしょうか? 参加者からも「知らないことが多かった」という声がありましたが、それを直接届けられたことは成果だと思います。
もう一つは、この問題を考える上で、地元の地域の歴史との兼ね合いで捉える視点が持てたということ。江戸から明治にかけて北前船の寄港地として栄えた富山は、今でも昆布の一大消費地となっていますが、そうしたヤウンモシリ(北海道島)の産物の交易の影には、アイヌの使役労働がありました。また、富山県は、明治後期には北海道への移民の最大の送り出し県であり、北陸銀行の前身である十二銀行は、北海道拓殖銀行ができるよりも前に北海道に進出しています。このように富山の側から北海道やアイヌ民族との関係を見ていくことで、「アイヌ先住権の回復」というテーマがより身近なものとして感じられたのではないでしょうか。
そして今回、富山でこの講演会が実現できたのは、PECとやまの堺さんが快く受入れを引き受けてくれたおかげなのですが、プロジェクトとして堺さんたちとのつながりができたことは何よりの収穫だったかと思います。
(報告:小泉 雅弘)