自由学校遊 25年後期講座:先住民族の森川海に関する権利 7—先住民族の権利と国・企業の責任
12月23日(火)第3回
先住民族の基盤となる権利とは?―土地・資源・領域に関する権利をめぐって
●大西信也
おおにし しんや(反差別国際運動(IMADR)会員)
大西でございます。
今日は、お話しをする機会をいただきありがとうございます。こういうことは初めてで、ちょっと緊張していますが嬉しくもあります。よろしくお願いいたします。
まず、自己紹介から始めます。奈良県出身の東京在住者です。
出身の桜井市大福というところは、聖徳太子のおじいさんが都を作られていたところです。僕は1945年生まれで、2025年11月で80歳になりました。

現役時代はなかなか忙しくて、自分が思うような活動はできていませんでした。しかし、60歳でリタイアしてから、とにかく何かやりたい!ということで、ホームページ開設を始めました。そのお話から始められればと思います。
当事者の声が届かない現状への違和感から
僕のホームページは、「マイノリティーの声」という名前です。僕がこのホームページを作る段階で、日本で広く知られている大きなマイノリティ集団は、アイヌ民族、琉球民族、在日コリアンそして被差別部落の4つの集団でした。最近はまた様々なマイノリティの方々がいらっしゃいますが、当時この4つの集団に焦点をあて、ホームページを作成しました。マイノリティの問題に対して、国連がどのような宣言や条約を作ったのかを国連ページで、アイヌ民族を取り巻く問題をアイヌ民族のページで、そして琉球、在日コリアン、被差別部落とそれぞれのページを作りました。ですので、私のホームページは主に5つの構成になっています。

そもそも、どうしてこの「マイノリティーの声」というホームページを僕が作ったのかをお話しします。
大きな理由は、日本社会ではあまりにも、マイノリティ当事者がどんなことを考えているのか、正しく伝えられていない、とずっと感じていたことがあります。では、正しく伝えるためにはどうすればいいのか。それはマイノリティの当事者に直接お会いして、なにを考えておられるのかを聞く。そして、そのことをホームページで載せていく必要性を感じました。
例えば在日コリアンの場合、僕は東京在住なので、麻布にある在日コリアンの資料館のような施設を訪問しました。そこへ行けば大体のことはわかります。さらに、施設の事務局長の方にお話を伺って、在日コリアンの人はこういうことを考えておられるんだな、と知ることが出来ました。それから、部落関係は友人がたくさんいる関係で、部落の活動はずっと身近で、理解も自分なりにしていました。
日本社会に欠けている「当事者の視点」を可視化する
私はIMADRという反差別国際運動を行っているNGOの賛助会員です。マイノリティの方々のお話を聞く活動を続けていた2017年に、IMADRの総会で特別講演が行われました。アイヌ民族に関しては阿部ユポさんが、琉球に関しては琉球新報の新垣毅さんが報告をしてくださいました。僕にとっては衝撃的な内容でした。ちなみに、この時の阿部ユポさんのご報告は私のホームページでお読みいただけます(報告まとめページへ)。
お二人の報告を聞いて、琉球と北海道へ行きました。琉球で新垣さんを訪ね、おすすめの資料館も教えてもらいました。琉球には非常に整った資料館があり、資料も充実しています。皆さんご存知の通り、琉球は知事さんが先頭に立って活動をされています。そして市民の方々も含め、あれだけ一生懸命活動をされているのに、日本社会―本土というのでしょうか、多くの人が、なかなか琉球の事情は理解しておらず、他人事のような状況ではないでしょうか。
琉球、在日コリアン、そして被差別部落に関しては、それぞれしっかりとした組織があります。その中で、僕が一番どういう状況なのか、と気になったのはアイヌ民族です。それで、阿部ユポさんを訪ねお話を聞いた際に、ユポさんがA4で70ページくらいの年表をくださいました。僕はその年表を読みましたが、わからないことだらけでした。その70ページを理解するのに、メモを取りながら読み進めていたら、結局3倍くらいの厚さになってしまいました。これも、僕のホームページに載せてあります。このユポさんとの出来事が、僕がアイヌ民族を取り巻く問題に関わるようになった経緯です。アイヌ民族の問題を勉強するまで、僕は、償いをしなければいけない、アイヌ民族を取り巻く問題がどうなっているのか?ということは、全く把握していませんでした。恐らく、大多数の日本人はそうだと思います。
開拓前にはこういう歴史が紡がれていた、開拓の時代に何が起きてその後続いたのか、ということは、本州の人間はほぼわかりません。誰にも教えてもらえません。僕も勉強してこういう話をするようになると、知らなかった、という人が圧倒的に多いです。
視点を広げる―海外での先住民族への政策
この「知らなかった」という声以外に、この冊子を色んな方に見てもらうと、「海外の事例はどうなっているの?」という質問も多数受けました。でも、海外の事例なんてそれまでにほとんど勉強したことはありませんでした。海外の先住民族の事例で聞いたことがあったり、僕の中で一番有名かな、と思っていたのが、オーストラリアのMabo(マボ)判決です。ですので、オーストラリアの事例から勉強を始めました。
そうしましたら、まあ無知であったと。オーストラリアは入植者―イギリス人ですが、彼らが勝手に土地を自分たちのものにしました。それに対して、マボさんという方が「それは違いますよ」という裁判を起こし、やっとのことで勝ち取ったのがマボ判決です。これが、まずオーストラリアを勉強したときに学んだことです。
次に、隣国のニュージーランドに移りました。
ニュージーランドは公用語の中に、先住民族の言葉(マオリ語)が入っています。それから国章には、先住民族と入植者が描かれています。彼らの間にはワイタンギ条約にみられる和解協定があり、和解の手続きが具体的に進んでいるのですよね。
先ほどのオーストラリアも、2008年に首相がアボリジニの方々に正式に謝罪をしています。
画像出典:https://www.mch.govt.nz/our-work/flags-anthems-and-emblems/coat-arms より

海外ではここまで進んでいる国もあるのか、とびっくりしました。日本の政府の人たちはみんな、ここまで進んでいる国があるということをご存知なのかな?と僕は感じました。
次にカナダにいきます。カナダではCalder (コルダー・カルダーなどと表記される)さんという先住民族の方が裁判を起こしていました。結果は、カルダーさんの訴えに賛成が3人、反対が3人、最後の1人が手続き上の理由で反対に回られ、裁判は棄却となります。しかし、カルダー裁判では、カナダ政府が先住民族の土地権を交渉で解決する方針に転換するという結果を勝ち取ります。
このカルダー裁判は1973年にカナダ連邦政府の最高裁までいきました。カナダは日本と異なり、7人の裁判官がいて、裁判官一人ひとりが自分の意見を判決文に書かれるんですね。日本だと、多数意見に賛成です、となります。せいぜい少数意見の裁判官だけが意見を述べられますが、大体は多数意見に賛成で、どの裁判所の裁判官がどういう意見を持たれているかは、ほとんど国民の目に見えないと思います。なので選挙の時にも、資料データがほとんどない中で判断をしなければなりません。
カナダでは、裁判官一人ひとりの意見を聞くことができるので、この裁判長はこういう人だ、とかも判断できると思います。カナダの判例を知って、特に、カルダー判決で、7人の裁判官が意見を述べるところは、非常に印象的でした。
加えてこの裁判では、「先住民族の問題というのは、裁判所が解決をするようなことではない」となり、カルダーさんをはじめとする当事者-Nisga(ニスガ・ニシュガアなどと表記される)という先住民族ですが、ニスガの人々、州政府、そして連邦政府の3者でチャランケ(アイヌ語で話し合い)をして解決をするようになります。最終的に、2000年にニスガ最終合意(条約)を締結します。
先ほど申し上げたように、1973年の判決からこの最終的な合意まで、27年もの年月がかかっています。しかし、非常に細かく土地をどうするのか、自治政府をどうするのか、教育をどうするのか、などの合意書が 252 ページにもわたって作成されました。そういうことで、カナダは大変進んだ対応を取られているので、青山のカナダ大使館に行って、文化部の方たちとお話もしました。
次は、アメリカ合衆国です。Black hills(ブラックヒルズ)という先住民族の聖地があります。この聖地を巡る裁判では、裁判所が(先住民族への)賠償金を命じました。しかし、アメリカの先住民族の方たちは「お金ではない」と仰いました。「お金ではなく、聖地を返してもらいたい」というのが彼らの訴えです。
僕の基本的なスタンスは、アイヌの人たちが何をどのように当事者として考えてこられたのか、それを僕なりに勉強することですが、こういう流れを見て、日本政府は様々な問題を真摯に考えて、アイヌの方たちとチャランケを行う必要があるのではないか、と考えております。
日本の現状へのもどかしさと、勉強を通じて受け取った言葉

ところで、先ほどカナダのニスガ最終合意の話をしました。252ページにわたる英文書を全て読み込めてはいませんが、この中でアイヌ民族に直接的に非常に深くかかわっている問題について、「チャランケ」という冊子を今回発行しました。この冊子は、僕の今までの勉強をまとめた冊子です。この冊子の61ページに、瀧澤正先生の博士論文の一部を掲載させていただきました。瀧澤先生は以前からすごいことを考えられていたようで、私が一番心を打たれた部分を掲載しております。
何が書かれているかというと、「明治初期開拓時の土地改革とアイヌの土地に関して、蝦夷地の自然に対するアイヌの権原を想定できないだろうか」ということです。また、アイヌの土地利用は単に売買譲渡される地面だけでなく、漁業権、狩猟権、さらに農耕地や山林の利用等を包括したものであったが、開拓使の土地政策はこれを分解し、地面の私有地私有化をもたらした。つまり、近代的土地所有権を法によって徴税占める事業であった、というような一文があります。この権原に関して、僕は瀧澤先生に電話させていただいて、「先生のご指摘のこの部分を、他にどなたか注目されたことがあるんですか」と伺いました。先生は、「誰もこの権原に関しては、問題にしてくれなかった」と仰っていました。でも、実はこの権原が、先のカルダー判決で認められた部分だったのです。
それから、瀧澤先生は土地所有の問題に関しても、当時の資料を現代訳されています。例えば、明治 5年の北海道土地媒体規則、6年の地租改正条例、8年の山林公物払下げ規則、10年の地権発行条例、19年の北海道土地払い下げ規則、そして最後に一番問題な明治30年の北海道国有未開地処分法です。これは約 30年かけて、アイヌの土地を全部民間に行き渡るようにしたものです。しかも最後はタダ同然の形で配分されました。民間に払い下げていないところは、未だに国有地になっています。
参考資料(森川海プロジェクトHP内):瀧澤正 「「漁場改正」のなかでアイヌはどう生きたか」
もう一冊紹介したいのが、多くの方が読まれているかと思いますが、貝澤正さんの「アイヌ 我が人生」です。和人の私が読んでも、二風谷判決の際の貝澤さんの陳述は本当にすごいものだと感じます。もう一つ、貝澤さんが亡くなられる2カ月ほど前に、三井物産の社長充てに、直訴状のようなものを書かれています。私は、これは貝澤さんの遺言ではないか、と感じながら読みました。そして、萱野茂さん。「アイヌモシリを、日本に売った覚えも貸した覚えもありません」と言われています。「異論があるなら、証文を出してみなさい」と仰っています。
アイヌの先人の方々がそれぞれの場面で素晴らしい発言やお考えも学びました。
ここまで、自分なりにアイヌ民族の歴史を勉強させていただいてきました。僕は本州の人間で、地主って普通に考えると、お金持ちの印象があります。でも、北海道の本来の地主であるはずのアイヌ民族の皆さんはいかがでしょうか。アイヌだから、という理由で、日雇いや非正規のお仕事にしかつけない、というお話も耳にします。生活、言葉、慣習を奪われ、サケ漁を禁止され、結果として生活が困窮せざるを得ません。この状況は和人が作り出してきました。もちろん、一人の大人として自分が作り出した、という意味ではありませんが、和人の一人として、アイヌ民族に対する申し訳ない、という償いの気持ちは、歴史を勉強する上で痛感して、自分もできることはやらなければいけない、と感じています。
「勝手に人の土地を使っている和人が作った法律を、どうしてアイヌが守らなければいけないんだ」、「アイヌの先人たちが、和人をひどく苦しめたことが何かあったでしょうか」、こういったアイヌの方々の発言は、僕の心に深く刻まれています。それで、先ほど紹介した僕のホームページに実は載せています。
正しく知ることの必要性
ところで皆さん、「8月15日」と聞いたら何を思い浮かべられますか。
先ほどお名前があがった、阿部ユポさんがこの質問を僕にされました。僕は「いわゆる終戦記念日でしょう」と答えたのですが、阿部さんは「そうではない」と。それまで蝦夷地と呼ばれて、いわゆる外国とされていた北海道が、日本に組み込まれた日だと仰いました。当時の太政官―今でいう内閣府ですが、7名の太政官布告がこの日に発せられました。この7名は、アイヌ民族に対して大変大きな責任を負っていると僕は感じております。それから、7本の規則条例法律でアイヌ民族の土地が取り上げられました。それから風習や言葉も禁止、抑圧されました。アイヌ民族が猟で用いる罠の危険性が当時指摘されましたが、アマッポ(仕掛け弓)と鉄砲とどちらが危ないのでしょう。僕は、鉄砲の方がはるかに危ないのではないかと思います。
それから強制移住です。小樽、新冠など様々な土地で強制移住が強要され、何十キロも徒歩で移動させられています。今、1万円札になられた渋沢栄一さんも帯広を訪れ、その時に酪農をやることになったそうです。こういう人たちの目には、そこにアイヌが住んでいる、人の生活がある、ということが全く念頭にありません。本州の中心地、つまり東京などが良ければいい、という感覚だと思います。これは、今からでも認識を正していかなければいけないと思います。
客観的なデータが示す、日本政府の「無策」な現状
お話しした通り、勉強の範囲を海外にも向けたことで、多くの先住民族が自分たちの道を切り開いていったことを知りました。

例えば、先ほどご紹介をしたカナダのニスガの人々の例です。
2000年にニスガ最終合意書が締結され、その後にニスガの集落内に、高速道路を走らせたんです。その高速の番号は113です。なぜ113か、皆さんご存知ですか。僕はわかりませんでした。
そこでよく説明を読んでみたら、ニスガの方たちがカナダ政府―当時はイギリスも含めて連邦政府ですが、との話し合いを始めてから113年経過した2000年に最終合意が締結された。ですので、この高速の113号線なのです。さすがだなと思いました。
多くの人々が先住民族の大事な歴史を認識し、113年もの間問題を解決してこなかったことを、ちゃんと後の世代にも伝える一つの方法として、こういう計らいがあるのではないでしょうか。
参考資料および画像出典:https://www.tranbc.ca/2012/07/03/highway-113-road-to-opportunity-for-nisgaa-nation/
なお、同カナダのクイーンズ大学が、先住民族の土地の問題に関して、先住民族のセルフガバメントを行うために、どれだけ各国政府が政策を行っているか、を調査しています。日本の結果を皆さんどう想像されますか。
土地問題、セルフガバメント共に0点です。
日本は、先住民族を取り巻く様々な問題は出来るだけ伏せて隠す姿勢で、何も明らかにしません。日本政府は先住民族の権利に関する国際連合宣言は賛成票を投じているにも関わらず、内実に関しては何もしていないに等しいです。かろうじて、かっこつきの「文化」だけがウポポイなどで申し訳程度に行われている、というのが、僕が今感じている日本政府です。
Queen’s University Multiculturalism Policies in Contemporary Democracies
調査結果(日本):https://www.queensu.ca/mcp/indigenous-peoples/resultsbycountry-ip/Japan-ip
本調査に関する詳細:https://www.queensu.ca/mcp/indigenous-peoples
おわりに
2025年8月23日に、アイヌモシリの会が設立されました。2026年1月24日に札幌のエルプラザで設立総会が行われます(開催済み)。日本は根本的に、アイヌ政策を転換させる必要があると思っています。そのために設立された会です。具体的にどんな活動をしていくか、などは今後相談して決めていきますが、日本政府とチャランケをする、そしてアイヌ民族のMIP(ミップ)Mosir―モシリ(土地)、Itak-イタク(言葉)、Puri-プリ(風習)の回復を目指していきます。
(まとめ:双木麻琴、七座有香、平田剛士)

