現代語訳・豊平外四川鮭漁ヲ禁シ条例ヲ定(1874年)

開拓使布令録編輯課 [編纂]『開拓使布令録』[明治7年],[開拓使],[188-].
国立国会図書館デジタルコレクション (参照 2025-01-09)

法令ID番号00800698 明治7年8月29日 豊平外四川鮭漁ヲ禁シ条例ヲ定
https://dajokan.ndl.go.jp/#/detail?lawId=00800698

原文現代語訳
第百七十五(無号) 八月二十九日
(札幌郡)市 在

当郡中豊平発寒琴似篠路諸川鮭漁引網差許来候処今般詮議ノ筋有之当分ノ内豊平川ヲ除クノ外右三川ハ総テ同漁網ヲ用ル義令禁止候條左ノ條例ヲ守リ心得違無之様戸々篤ク可触示此旨布達候事
第175 8月29日
(札幌郡)市 在

札幌郡内を流れる豊平川(とよひらがわ)・発寒川(はっさむがわ)・琴似川(ことにがわ)・篠路川(しのろがわ)の各河川でサケ漁をする際に、これまでは「引き網」の使用を許可してきたが、このたび(役所で)会議がもたれ、今後は当分の間、豊平川を除く3河川(発寒川・琴似川・篠路川)において、「引き網」を使ってのサケ漁は一切禁止することになった。ついては、以下の条例を勘違いせずに遵守するよう、(漁業者の)一軒一軒を訪問して念入りに指示することを命じる。
第1条一 豊平川ト雖モ夜中引網一切令禁止網ヲ用ルハ日間ニ限ルヘキ事豊平川で行なうサケ漁であっても、夜間に「引き網」を使用することを禁止する。網を用いる時間帯は日中に限定する。
第2条一 川中ヘ杭木取立張網致シ俗ニウライ網ト唱ルモノ一切厳禁ノ事川の中に木の杭を打ち込んで網を張る漁法(いわゆるウライ漁)は厳禁する。
第3条一 引網望ノ者ハ場所並網ノ間数詳細相認メ其町村戸長ヲ経テ可願出網ノ大小ニ従ヒ相当ノ納税可申付事(豊平川で)「引き網」を使ったサケ漁を希望する人は、漁を行なう場所・使用する網のサイズなど詳細を記載した書類をつくり、町や村の戸長を通じて役所に願い出ること。網のサイズに応じて規定の税額を納めること。
第4条一 此条例ニ触レ其禁ヲ犯ス者アラハ漁具取揚相当ノ科料可申付見当次第訴出者ヘハ犯人ノ科料金額可被下最モ相互ニ禁止スヘキヲ要スヘキ事この条例に違反して、禁止事項を犯した者には、漁具を没収し、規定の罰金を命じる。違反者を見つけてすぐに通報した人には、犯人に課した罰金と同額を支払うこと。(漁業者同士を)相互に監視させてでも禁止を貫く必要がある。
右之通堅ク可相守者也以上のルールを絶対に守ること。

先住民族アイヌに対する「同化政策」の多くは、開拓使(1869-1882)が出した「布達(ふたつ)」や「達(たっし)」によって実行されています。そこにはなんと書いてあったのか――?
開拓使が発した法令は、明治政府が『開拓使事業報告』『法令全書』『開拓使布令録』といったインデックスにまとめています。国立国会図書館が運営する検索サイト「日本法令索引〔明治前期編〕」を利用すると、それらインデックスから目当ての法令ページを探して、デジタルスキャン画像を閲覧できます。とはいえ、明治初期の高級役人たちが作った法令は、候文(そうろうぶん)スタイルで書かれていて、現代の私たちには一目ではなかなか理解できません。そこで、冒険的なことは承知の上で、だれにでも読みやすいような現代語訳を試みました。なお法令ID番号は「日本法令索引 明治前期編」に基づいています。(平田剛士)

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