「先住民族」は、単に「先に・住んでいた・民族」を意味するだけの言葉ではありません。じゃあ、いったいどんな含意があるというのか? 先に結論を書いてしまうと、こうです。
先住民族とは……
「よその国家に植民地化されたことによって、自分たちの土地・領域・資源を奪われ、個人/集団としての権利や尊厳を踏みにじられるなど、歴史的な不正義に苦しみ、みずから発展する権利を妨げられてきた人びと」
じつはこれ、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(英語名:UNDRIP=United Nations Declaration on the Rights of Indigenous Peoples、2007年採択)の前文第6段落をアレンジしたものです。
……先住民族は、とりわけ、自らの植民地化とその土地、領域および資源の奪取の結果、歴史的な不正義によって苦しみ、したがって特に、自身のニーズと利益に従った発展に対する自らの権利を彼/女らが行使することを妨げられてきたことを懸念し、……
「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(英語名United Nations Declaration on the Rights of Indigenous Peoples、2007年採択)前文第6段落(日本語訳=市民外交センター)
日本に当てはめてみましょう。
旧憲法(大日本帝国憲法)を改正して今の日本国憲法が公布される1946年まで、この国は「大日本帝国」を名乗っていました。当時の日本政府は、戦争を含む外交政策をもって植民地の獲得をめざし、その最初の進出先がアイヌモシㇼ、現在の北海道島を含むオホーツク海周縁のエリアでした。
1868年のいわゆる明治維新を経て成立した日本の新政府は、1869年9月20日(明治2年8月15日)、それまで「蝦夷地(えぞち)」と呼んでいた島々に「北海道」、また「北蝦夷地(きたえぞち)」と呼んでいたサハリン島に「樺太(からふと)州」と、それぞれ新しい行政区名をつけます。「開拓使」という役所をつくり、国後(クナシㇼ)・択捉両島を含む北海道全島を領土化して、軍隊や入植民を送り込んで開拓事業を推進し始めました。
このエリアに“先に住んでいた”アイヌ民族は、この時から「帝国主義/植民地主義国家によって、自分たちの土地・領域・資源を奪われ、個人あるいは集団として権利や尊厳を踏みにじられるなど、歴史的な不正義に苦しみ、みずから発展する権利を妨げられ」るようになった――すなわち「先住民族」になった、と言えるでしょう。
アイヌモシㇼの「内国化」に続けて、大日本帝国はクリル諸島、琉球、サハリン島、小笠原諸島、台湾島、遼東半島、朝鮮半島、満州、南洋群島、東南アジア……と支配エリアを拡張していきます。アジア太平洋戦争末期、1944年ごろの日本の勢力圏は、赤道以北の東経90度線と180度線に挟まれたエリア、つまり日本列島を真ん中に、地球表面の1/8に届きそうなほどまで広がっていました。
1945年8月、イギリス・アメリカ・中国のポツダム宣言(降伏勧告)を受け入れて、日本はその大半を失いますが、本州島・九州島・四国島とともに、北海道島の領有は引き続き認められました。琉球諸島(沖縄県)も1972年、アメリカから日本に「返還」されます。
植民地化されたがために〈土地、領域および資源の奪取の結果、歴史的な不正義によって苦しみ、……発展に対する自らの権利を……行使することを妨げられてきた〉(UNDRIP)先住民族に対して、「歴史的な不正義」を正す責任を負うのは、植民地化をなした当の国家でしょう。先住民族アイヌ(そして琉球も)に対し、それを負っているのは、現在の日本政府です。
平田剛士 フリーランス記者