吉田浩正 ジャーナリスト
札幌で昨年(2022年)11月からイオルの森づくりが始まった。札幌アイヌ協会が民間の助成を受けて整備を進めている。場所は、札幌駅から直線で南西へ15キロあまり、バスで1時間ほどの小金湯にある札幌市アイヌ文化交流センター・サッポロピリカコタンの敷地。作業が始まって伐採されるまでカラマツ林だったところだ。面積は約1000平方メートル。アイヌ語のイオルは「アイヌの伝統的生活空間」と訳される。そこからさまざまな木々が育つ広い森を想像すると拍子抜けするほど狭い。しかし、明治以来、北海道開拓の拠点で今は全道の人口の4割が集中する札幌で、外来種が持ち込まれる開拓前のイオルの森の再生が始まった意味は小さくない。
「国内外来種」カラマツからの転換
この冬初めて雪が積もった昨年12月1日、現地を訪れて、植生を担当する岡村俊邦・北海道科学大名誉教授に案内してもらった。岡村さんは、自然に近い樹林の再生に取り組んでいて、平取のイオルの森づくりにも関わっている。1
待ち合わせた駐車場に着くと隣に、てっぺんと枝が伐られた木が一面の雪の中に立ち並んでいた。交流センターの建物側には復元されたイタオマチプ(板綴り船)2が展示され、園路を挟んだ歴史の里エリアにチセ(家)やプ(倉)が再現されている。
立ち枯れた木のようにも柱のようにも見える木が林立しているところが札幌イオルの森の整備地だった。木はカラマツで、40本あるという。
カラマツはもともと宮城より南の本州に分布する落葉針葉樹で、開拓が始まってから北海道に持ち込まれた。アイヌがイタオマチプで海に出て漁をしたり交易をしたりしていたころはなかったはずだ。
イオルの森の再生は、国内外来種のカラマツを伐採することから始まった。根本から切り倒すと周囲の建物や駐車場に倒れるおそれがあるので、高所作業車を使って上から順次伐っているところだった。
カラマツの伐採は12月中に終え、雪解けを待って春から、オヒョウやキハダ、ウバユリ、ニリンソウなどこの地にもともとあった樹木や草の樹林に再生していく計画だ。
造成経費は、公益財団法人都市緑化機構と一般財団法人第一生命財算が主催する「緑の環境プラン大賞」の助成金でまかなわれる。市の予算がつくめどがつかなかったため、札幌アイヌ協会が応募し、昨年8月、上限800万円のシンボル・ガーデン部門3件のひとつに選ばれた。3
森の再生は、岡村さんと吉井厚志・寒地土木研究所環境研究室長(当時)が考え出した生態学的混播・混植法4によって行う。地域の自然の森からさまざまな木々の種子を採って育てる方法で、1991年以来、河畔林や公園の樹林など各地で実績をあげている。経済的に価値の高い樹種を植えたり、景観優先で外来種を多用したりする一般的な方法と違って、自然林に近い樹林をつくり、鳥や動物、草花も含めた生態系の再生を目指している。
20年の停滞を経て
札幌でイオルの森を再生する構想は20年ほど前からあった。北海道ウタリ協会札幌支部(現札幌アイヌ協会)が2003年6月に「サッポロイオル(仮称)計画書」をつくり、同年12月にオープンした交流センター周辺でイオル再生が検討された。しかし、具体的な動きに結び付かないまま時間がすぎた。
進展があったのは2021年。平取でイオル再生に関わっている岡村さんが6月に「計画書」に基づいた「札幌イオルの森再生の提案」を関係者に示し、続いて9月に「再生実施計画案」をまとめたことがきっかけだった。
実施計画案は、開拓が始まってから日本の内外から持ち込まれた外来種が在来種の生息の場を奪ったことで、アイヌ文化を支えてきたイオルの森が変わってしまったことを説明したうえで、「北海道開拓の中心を担い、開拓の開始以来、イオルを変質させてきた札幌市のアイヌ民族に対する責任は大きい」「イオルの森の整備を今後より積極的に推進する責務がある」と指摘している。
この時点では、交流センター以外にも候補地はあり、再生にかかる費用は札幌市に交付されているアイヌ施策推進交付金の一部をあてることも想定されていた。
しかし、土地の選定も整備費の確保も見通しが立たないため、札幌市の施設で他と交渉しなくても使える現在地で市の予算に頼らず構想を具体化する方策を模索し、昨年6月、札幌アイヌ協会が地域のシンボル的な緑地プランを対象にした「緑の環境プラン大賞シンボル・ガーデン部門」に応募することになった。
内閣官房長官の諮問機関・ウタリ対策のあり方に対する有識者懇談会が「イオルの再生」を提言したのは1996(平成8)年。それから四半世紀、ようやく札幌でイオルの森の再生が始まったが、土地は狭く、資金は民間の助成金。マスメディアにもほとんど取り上げられない。行政もメディアも札幌でイオルの森を再生することにあまり関心がないのが現状だ。
なぜなのか。縦割り行政、保護か利用かに二分され硬直した自然公園規制や経済第一の森林管理などさまざまな理由が考えられるが、現地を見て、経緯を知って、まず気になったのは、アイヌ語の「イオル」と「アイヌの伝統的生活空間」と訳される行政用語としての「イオル」の違いだ。
国土交通省のホームページを見ると、「アイヌの伝統的生活空間(イオル)の再生とは」として、「森林や水辺等において、アイヌ文化の保存・継承・発展に必要な樹木、草本等の自然素材が確保でき、その素材を使って、アイヌ文化の伝承活動等が行われるような空間を形成するものです」「※アイヌ語で「イオル」とは「狩場」の意味です」「空間活用等事業、自然素材育成事業によるイオルの再生、アイヌの伝統や文化を伝える体験交流活動の伝承者の育成を行っています」と書いてある。「空間活用」や「自然素材」など抽象的な言葉と「等」が多くて解釈の幅が広い「お役所文学」で、具体的に何をするのかわかりにくい。「狩場」の意味だと注をつけながら、狩りや漁に直接触れていないことにも違和感がある。
一方、先住権として川でのサケ漁を認めるよう求めているラポロネイションの差間正樹さんは、「北海道はもともと私たちの先祖が住んでいた土地です。だから、イウォルっていうんですけど、生活する範囲、領域を認めてほしい」と言っている5。国交省の「文化の伝承活動が行われる空間の形成」から「生活領域を認める」までの間には相当な距離がある。
しかし、実現の可能性の高いものから始めるという札幌イオルの森の取り組みを見ると、その隔たりを狭め、いずれなくすことができる道があるように思えてくる。
人跡「有」踏の原生林
具体的な動きは新たな気づきにつながる。これまで交流センターを訪れてもカラマツ林に目が向くことはなかったのに伐採作業が始まると、この土地が開拓と外来種によって変わった北海道の森の象徴のように思えてきた。カラマツを伐採した後に再生する在来種の森はアイヌ文化継承のために樹皮などを利用することになっている。いまは区域を限って整備されるが、かつては北海道の山野はどこもそうだったのだろう。とすれば、開拓前から北海道には「人跡未踏の原生林」も「手つかずの自然」もなかったことになる。樹木や草、動物、魚を利用して暮らしていたアイヌが、景観や生態系を大きく変えるような行きすぎたことはしていなかったから開拓前の森に人の手が入っていないように見えたのだ。
開拓前のそのような自然の利用ができるなら、いまは利用制限がある国立公園や経営が厳しい国有林の管理をまかせて林内の樹木などを使ってもらいながら景観や生態系を維持してもらうことも、イオルの森の選択肢のひとつになる。
外来種によって変質した土地は、生態学的混播・混植法によって自然に近い樹林を再生し、さらに川も元の状態に戻し、動物や魚についても科学的な研究をいかして管理していけば、「伝統的生活空間」に近くなる。生態学的混播・混植法は最初、河畔林の再生から始まったが、イオルの再生のために工夫された技術がそれ以外の地域の環境改善に役立つこともあるだろう。
民間の助成で再生作業が始まったことも、見方を変えれば、行政だけに頼らない方策もあることを示したといえる。単純に比較はできないにしても、野鳥のサンクチュアリやイトウの保護林など民間によって設けられた場所は多い。
アイヌの伝統衣装アットゥシの素材となるオヒョウやコタンコロカムイ(シマフクロウ)が営巣できる大木など在来種の森づくりに取り組んでいる平取では、針葉樹の人工造林技術を援用した方法で良い結果が出なかったため、生態学的混播・混植法が導入された。
種の採取や苗づくり、植に地域の小学生や住民に参加してもらうのも特徴だ。イオルの森づくりでも子どもたちや市民に参加してもらうことで、開拓で変質する前の北海道の自然の多様性とそれを利用してきたアイヌ文化の豊かさを知るきっかけになることも期待される。
昨年11月21日、東京で行われた「緑の環境プラン大賞」授賞式の後、岡村さんは札幌イオルの森の再生について「小さな一歩ではあるが、先住民族としてのアイヌと、開拓者としての和人の共生を進める活動になることを願っている」と記している6。今後の取り組みを応援したい。
脚注
- YouTube: イオル型多層林の形成業務(長編)2022 ↩︎
- 丸木舟に波を避ける板を縄で綴じ付けた舟。櫂や帆を使って海を航行できる。 ↩︎
- https://urbangreen.or.jp/wp-content/uploads/2022/10/221014_3shouPress_01.pdf ↩︎
- https://thesis.ceri.go.jp/db/files/00160560501.pdf ↩︎
- http://www.kaijiken.sakura.ne.jp/newsletter/Utaspanououpekare025.pdf ↩︎
- 「提言」から助成を得て整備を始めるまでの経緯は岡村さんがフェイスブックに掲載している。 https://www.facebook.com/ezohiguma
2021年6月16日、9月30日、2022年6月20日、11月10日、11月27日 ↩︎