アイヌ民族の少数者・先住民族としての今日の人権状況は、次の6つの特徴を持っており日本政府は、これらの事実に照らして善処するべきである。
- 同化政策のみが、唯一かつ一貫して日本政府がとってきたアイヌ民族政策の基本理念であり、民族自決を前提にした政策は、存在したことがなく検討したこともない。
- 同化政策を前提にした民族差別法である「北海道旧土人保護法」は、実質的制約だけを残し、いまだに存在している。
- アイヌ民族と他の日本人の間には、いまだ大きな社会的・経済的格差が存在し、かつ27条に規定されている諸権利の享有を現実に保節されていない。
- アイヌ民族に対する民族性を原因とする差別は、学校、職場、結婚などで行われており、この状況はたいへん厳しいものである。
- 日本政府は、アイヌ民族の現実について、権利の進展や地位の向上をめざした有用な調査を全く行っていない。
- アイヌ民族は、民族差別法の「北海道旧土人保護法」に代わる、民族自決の権利を法的に規定する「アイヌ新法」などによって、この諸権利を強く求めている。
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a)1986年9月中曽根前首相は、「日本は単一民族国家である」と発言したことで有名だが、少なくともこの時期まで日本政府首脳は、アイヌ民族を無視して、この種の発言を繰り返していた。1988年3月の国会で、竹下現首相は、アイヌ民族の存在を認めると発言したが、民族の権利を認め、その権利の拡張を求める「アイヌ新法」の必要は一切認めず、アイヌ対策は現行のままで、何等支障ない、と明言している。
b)アイヌ民族を消滅させることを前提とした同化政策が厳然として存在することは、民族の権利を保障するいかなる立法も存在しないことからも明らかである。また、アイヌ民族の問題を取り扱ういかなる政府機関も存在していない。1973年3月の国会で、当時の斎藤厚生大臣は、アイヌ民族の代表を含めた政府審議会の設置を約束しているが、いまだその約束は、実現していない。15年間も約束は、反故にされている。
C)アイヌ民族は、北海道を中心とする地域の先住民である。日本政府は、1987年の「先住民に関する国連作業部会」において「歴史の長い時間の中で、色々な民族的グループが混血され、日本民族がつくられてきた。アイヌは、これらの民族的グループの一つであると考えられている。」と、発言している。
また、1980年に開催された、国連人権専門委員会第12回期第324会議において、日本政府代表が第27条関係で「アイヌ人もウタリ人と呼ぶのが正しいが、19世紀の明治維新以来のコミュニケーションシステムの急速な進歩のため、この人達の生活様式に特殊性を見出すことは困難になっている。」と回答している。
これらの発言は、いずれも日本政府の一方的な同化政策の現れであり、アイヌ民族の自決権を無視したものである。
資料①で示すようにアイヌ民族の認知に一貫性がない。この理由は日本政府に民族に対しての法的見地が確立されていないためと思わざるを得ない。
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アイヌ民族に一定の土地の分与などを定めた「北海道旧土人保護法」は、1899年に制定されて以来、今日も、この法によって得たアイヌ民族の土地の譲渡を制限し、共有財産をも北海道知事の管理に任せている。
また、この法律制定までの約30年問に渡り、日本政府によるアイヌ民族の先住地域での土地の取り上げ、その土地の植民者への分与の内容は、一方的で侵略以外のなにものでもなかった。(①明治期の北海道に配備された農業兼務の軍隊(屯田兵)一戸につき2万坪を給付した。②開拓使は北海道土地売貸規則により、一人10万坪を限度で全て売り下げた。)しかる後、アイヌヘの土地給与は、営農に対する立地条件を十分考慮しないまま、わずか1万5千坪以内という極めて差別的なものであった。
こうした歴史的状況から出発している以上、今日、法制度上差別がないという日本政府が繰り返してきた発言は、それ自体アイヌ民族に対する人権抑圧を明確に示唆している。
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a)アイヌ民族と他の日本国民の生活環境、経済条件の格差が著しいため、北海道庁は、1974年から「ウタリ福祉対策」事業を開始した。
明治維新以来、日本政府によるアイヌの土地であった北海道への侵略と並行して行われた同化政策が、対等な権利の保障を実現できなかったことをこの事実は証明している。
しかし、政府は、この事業は北海道庁の低所得世帯に対する救済事業と位置付け、単にそれを支援するにすぎないとしている。これはまさしく福祉対策であって、民族対策でない。
b)先の先住民に関する国連作業部会で日本政府代表は、「北海道ウタリ福祉対策として、1974年より1986年までの13年間に、日本政府と地方公共団体が309億円の特別な予算配分を積極的にもうけ、さらに努力する決心である。」と主張しているが、アイヌ民族と直接的に係わりのある事業(主に個人の福祉対策)としての予算は、171億円で全体の56パーセントになっているが、このうち個人の返還が伴う貸付事業予算は99億円で58パーセントを占めているのが実態である。
また、間接的に係わりのある事業(主に地区の福祉対策)としての予算は、138億円で全体の44パーセントで、しかもこの「地区の福祉対策」事業の種類によっては、その地区に居住するアイヌ民族以外の日本人も含めたものになっているのが実態である。
更に、事業の採択基準に影響されるため、アイヌ民族以外の日本人には施されるが、基準に満たないアイヌには施されないという矛盾が横たわっている。
1986年の調査によれば、生活保護世帯は他の日本人より3倍多く、常に不安定な生活を送っている。
c)アイヌ民族は、狩猟漁撈民族として伝統的な儀式を行っている。その儀式を行うにあたって重要な役割を演じるクマやシマフクロウの利用は、「鳥獣保護及び狩猟に関する法律」によって制限されている。サケの利用についても「水産貸源保護法第25条」によって制限されている。近年、サケについては、北海道庁の判断で、社会教育の例外として認められる様になったが、これも北海道212行政区の中で石狩町、登別市の2か所だけで年に一度、わずか20本以内の少量が認められたにすぎない。アイヌ民族は、特別狩猟権を主張しているが、日本政府はこれを認めていない。
d)1982年、北海道沙流郡平取町二風谷に、アイヌの私財と支援者からの寄付によってアイヌ語保育を目的とした、保育所が完成した。この運営に関して、北海道庁及び厚生省は、「児童福祉法24条及び35条」さらに「補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律」を盾に公的機関から補助金を受ける施設では、言語保育を行ってはいけないと通達した。これによって、この施設でのアイヌ語保育は、断念された。
e)1981年、日本交通公社によって、アイヌ民族に対する差別的広告が掲載された。しかし、国内法では、民族に対する差別広告を有効に規制することができない。また、日本政府は、人種差別撤廃条約を批准していないため、これによる対処も行われていない。
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a)1986年の調査によれば、70パーセントのアイヌが差別を体験しており、85パーセントの人たちが現在も差別は存在すると証言している。差別の内容としては、結婚と地域社会での差別が最も多く、学校、就職がそれに続いている。
b)労働省は、1987年ILO107号条約の改訂に関して北海道ウタリ協会に意見を求め、協会は回答を提出したが、労働省はそれを完全に無視し、ILO本部に「定義が不明」とする政府回答を2か月遅れて提出した。これも、民族差別である。
c)アイヌ民族は、北海道だけでなく、関東をはじめ各地に定住しているが、そこでも同じような差別がおこなわれている。「ウタリ福祉対策」は、北海道以外のアイヌには、全く適用されない。
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アイヌ民族の実態について政府は、独自の調査を行っていない。アイヌ民族の実態調査は、1972年から北海道庁及び東京都の手で行われているだけである。
法務省は、アイヌ民族に対して行われた差別の統計さえ持っていないため、民族差別にかかる人権侵犯事件も一般的な事件として処理されている。
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当協会は、民族差別法である、北海道旧土人保護法を廃止して、権利を尊重するための宣言、人権擁護活動の強化、アイヌ文化の振興、自立化基金の創設、審議機関の新設などを柱とする新法制定を強く求めている。
以上
1988年8月
日本北海道札幌市中央区北3条西7丁目
社団法人北海道ウタリ協会
理事長 野村義一