本稿は1989年8月の「世界先住民族会議」最終日、会場となった釧路湿原で採択された決議の全文です。
1989年8月14日
世界先住民族会議を組織し、そこに代表として出席したわたしたち、アイヌ・モシリ(北海道)のアイヌ民族は、次のようにわたしたちの精神を表現し、わたしたちの権利を宣言します。
この世界先住民族会議の実行委員会委員長で萱野茂さんは、アイヌ語で、この会議のために祈りの言葉をのべました。
タバン イラウェ タパナッネ イラウェ ソモネ ナンコロ モシリ ソカシ エロットロッ カムイ コロ イラウェ ネチネ ナンコロ ナワネヤットネ ネイタ パクノ チコロ イラウェ シペッテッペ ネルウェタバンナ コンカミナー
その意味は、“わたしたち目に見える人間が、この会議を開催することをねがったものだとは、わたしには思えません。まことは、この大地の神々が、わたしたちの助けを求める叫びに目を覚まし、わたしたちをここに集めたのだと患います。ともにこの機会を十分に用い、わたしたちの団結を石より強いものにしましょう。わたしはわたしたちのよりよい未来のために祈ります。”
非核独立太平洋運動の事務局長であるロベティ・セニトゥリ氏は、海外からの参加者を代表して彼の基調報告の中でこうのべました。
“海を越えてやってきたわたしたちは、わたしたちと一緒に、自分たちの民族の涙をはこんできました。わたしたちは、差別というおなじ悲しい物語をはこんできました。
わたしたちは、わたしたちの土地が盗まれたというおなじ悲しい物語をはこんできました。わたしたちは侵略者によって残虐に鎮圧された蜂起の、おなじ悲しい物語をはこんできました。わたしたちは、わたしたちの祖先の土地で二級の市民であるという、同じ悲しい物語をはこんできました。
しかし、わたしたちはまた、悠久の昔からわたしたちすべてをまもってきた内なる精霊を、わたしたちと一緒にはこんできました。わたしたちは、かならずや生きつづけ、栄えを見ることができるという信念を、わたしたちと一緒にはこんできました。わたしたちはまた、わたしたち一人一人が、先住民族であるかないかを問わず、正義と平和への不滅の愛をもっているという確信をこめたオリーブの枝を、わたしたちと一緒にはこんできました。”
だれがわたしたちにその悲しみをはこばせたのでしょうか。
なぜ、わたしたちはわたしたちの歴史を涙と共に語らなければならないのでしょうか。
わたしたちはわたしたちの悲しい苦しみにみちた歴史のおなじ道で踏みつけられてきました。そしていまも踏みつけられつづけています。
この悲しい歴史は、わたしたちの祖先が創造主たちから直接に受け取ったわたしたちの大地を、侵略者たちがわたしたちからうばいとったときに始まりました。それは、わたしたちを育て、生かしてくれてきた大地であり、わたしたちが、わたしたち自身の子孫へ手渡していかなければならない大地です。
侵略者たちは、異なった神をもってやってきました。そして彼らは、大地をとおして、わたしたちがもつわたしたちの神々との霊的な交わりをかれらのものより劣ったものとみなしました。
侵略者たちは、異なった武器を持ってやってきました。わたしたちの武器である弓と矢は、わたしたち自身の生命を守るためのものでした。しかし、侵略者の武器は、わたしたちを破壊するためのものでした。
侵略者たちは異なった法をもってやってきました。わたしたちの法は、わたしたちの大地を美しくみのりゆたかに保つためのものでした。わたしたちの法は、わたしたちがわたしたちの大地をよろこばせるためのものでした。しかし、かれらの法は、わたしたちの大地をひとかけらずつに細分化することを企てるものでした。そして最後には、美しい風景を不毛の荒れ地に変えることを企てるものでした。
わたしたち先住民族は、わたしたちの大地が破壌されつづけているかぎり、涙を流すのをやめることはないでしょう。
わたしたちは、わたしたちの歴史とわたしたちがそこで生きてきた大地について語りました。
わたしたちは、連帯の心でお互いに抱きあいました。
いま、わたしたちは怒りをあらわさなければなりません。そして、わたしたちの祖先が教えてくれた愛を取りもどさなければまりません。
わたしたちは、この傷つけられた地球を癒やすために力をつくすことを厳粛に誓います。そうすることによって、わたしたちはわたしたちの魂のうちに安らぎを取りもどすように力をつくすことでしょう。
わたしたちは以下のことを決議します。
- わたしたちアイヌ民族をアイヌ・モシリ(北海道)の先住民族として認めること、北海道旧土人保護法を廃止すること、そしてわたしたちが提案している新法を制定すること。
- わたしたちアイヌとの協議なしには、アイヌ・モシリ(北海道)の開発をおこなわないこと。
- とりあえず、わたしたちアイヌ民族へアイヌ・モシリ(北海道)のすべての公有地を返還することによって、アイヌ民族の先住土地権を保障し、保護すること。
- サケの捕獲についてのわたしたちの権利を認め、ただちにわたしたちとこの件に関する協議を開始すること。それは、アイヌ・モシリの先住民族としてのわたしたちの譲り渡すことのできない権利であるから。
- 二風谷ダムの建設を中止すること、そして、ダム用地のアイヌの所有者とただちに協議すること。
- 原子炉から産み出される高レベル核廃棄物研究貯蔵施設を、幌延に建設する計面を撤回すること。
- 最近、泊に建設された原子力発電所の操業を中止すること。
- 日本だけではなく世界中の博物館、研究施設に所蔵されているわたしたちの祖先の文化的財産、文化的意義のある物品および遺骨で、わたしたちの合意なく持ち去られているものを返還すること。そして、東京と北海道にアイヌ文化センターを建設すること。
- わたしたちアイヌ民族がこうむった不正、虐殺、搾取に対して謝罪し補償すること。これと関連して、わたしたちは過去および現在において、日本政府によって差別され、抑圧され、搾取された人々にも同様の謝罪と補償を要求する。
- 現に、よその先住民族に多くの苦悩をもたらしている経済活動および海外開発援助を中止すること。
- 先住民族およびその他の少数者集団を含む正式協議機関を設立し、日本列島社会における、ことなった民族および文化集団のあいだの平和的な共生と相互尊重を促進すること。
- 国連人権委員会差別防止・少数者保護小委員会において、北海道ウタリ協会と市民外交センターの代表が1989年に行なった発言に反論して、日本政府が行なった次のような声明を撤回すること。
- ⅰ 日本の民主主義の性質が、少数者に対する一種の「独裁」であると批判するのは理由がないこと。
- ⅱ 日本の政府と地方公共団体は、アイヌ民族の社会的、経済的地位の向上のために巨額の特別な財政支出を積極的におこなってきている。
- ⅲ 二風谷ダムの建設にさいしては、二風谷のアイヌ文化を保存し、発展させるためにいくつかの事業を計面しており、その中には居住地域と社会福祉の改善事業が含まれている。
このような声明は、わたしたちアイヌ民族の歴史と実情を意図的に歪曲して表わすものであり、わたしたちを抑圧している現実をおおいかくすものである。
そして、上記の声明に責任を負うべき、この小委負会の日本人重点、波多野里望氏を、別の先住民族問題に理解のある、より適切な人物と交代させること。
出典:ピープルズ・プラン・21世紀・北海道「歴史を担って未来へ向かう/世界先住民族会議記録集」(1989年)p.133
この記録集は、全編がPDF化され、「ピープルズ・プラン21世紀アーカイブ」で公開されています。ピープルズ・プラン研究所の許可をいただき、一部をテキスト化して本サイトに掲載しています。
http://www.pp21archives.org/pdf/PP21-J00018.pdf