ここにご紹介するテキストは、今から35年前、1989年8月7日から8月14日にかけての8日間、北海道内の4カ所(札幌市、平取町二風谷、釧路市、釧路町)でリレー開催された「世界先住民族会議」に参加したアイヌたちのスピーチです。閉会後に編纂された「歴史を担って未来へ向かう/世界先住民族会議記録集」(ピープルズ・プラン・21世紀・北海道編、1989年)から抜粋してデジタル化しました。
ピープルズ・プラン・21世紀・北海道「歴史を担って未来へ向かう/世界先住民族会議記録集」(1989年)
この記録集は、全編がPDF化され、「ピープルズ・プラン21世紀アーカイブ」で公開されています。ピープルズ・プラン研究所の許可をいただき、一部をテキスト化して本サイトに掲載しています。
http://www.pp21archives.org/pdf/PP21-J00018.pdf
この国際会議には、アイヌ民族の招待に応じて、オーストラリア、ベラウ、ブラジル、カナダ、東チモール、グァム、グァテマラ、ハワイ、マレーシア、西ニューギニア(西パプア)、フィリピン、タヒチ、台湾、トンガ、アメリカ、ソ連の先住民族が、〈いまは、ひとが北海道と呼ぶ土地――アイヌ・モシリ〉に集まり、8日間でのべ1,500人に及ぶ参加者が〈体験や思いを共有し、連帯と戦いの決意を共有〉した、といいます(引用はいずれも同報告書収録の計良光範「発刊にあたって」から)。
会議を企画した「ピープルズ・プラン21世紀」は、〈1989年に日本で立ち上げられ、2002年に活動を終えるまで、国境を越えて「ピープル」が横に結びつきながら、アジア太平洋、さらには世界の未来を自らの手で創造していこうという運動でした〉(ウェブサイト「ピープルズ・プラン21世紀アーカイブ」から)。北海道では、アイヌ民族による「ヤイ・ユーカラ民族学会」(1973年創設)と在札幌の市民運動とが合流するかたちで「ピープルズ・プラン21世紀・北海道」が結成され、国内初のこの「世界先住民族会議」を主催しました。
1989年は、奇しくも「クナシリ・メナシの戦い」(1789年)からちょうど200年にあたる年でした。のみならず、北海道ウタリ協会が自ら「アイヌ新法(案)」(1984年)をつくって制定要求運動を繰り広げたり、建設省の「二風谷ダム」建設事業に対し、貝澤正さん・萱野茂さんといったエカシたちが敢然と抗議の声を上げるなど、「先住民族固有の権利」にもとづく運動が加速度的な膨張をみせていました。そのさなか、先住民と非先住民、双方の市民たちが立案・敢行したのが、この「世界先住民族会議」でした。報告書のどのページを開いても、発言者たちの高い熱量が伝わってきます。
2024年のいま、1989年の発言記録に触れなおす意味は何でしょう? 「たたかいの歴史」の一断面であることは間違いありません。36年前に提示されていた課題の多くが、いまなお未解決のままだと気づかされます。先住民族の諸権利回復を目指す運動の手法に、古さを感じる人も、逆に親近感を覚える人もおられるでしょう。ご紹介するスピーカーには、すでに亡くなった方も少なくありません。発言から36年を経ていま、「もしお元気だったらどんなスピーチが聴けるだろう?」と想像するのも有意義でしょう。先人のイタㇰ(言葉)を「語り継ぐ」大切さは、いうまでもありません。
市民外交センターとともにこの「森・川・海のアイヌ先住権研究プロジェクト」(2022年~)を担うさっぽろ自由学校「遊」は、「ピープルズ・プラン21世紀・北海道」を母体のひとつに、1990年に設立されたNPO(非営利団体)です。
平田剛士 フリーランス記者