5月~9月 講座開催中 「先住民族の森川海に関する権利6―自然環境と先住民族の主権をめぐって」

「漁場改正」のなかでアイヌはどう生きたか

瀧澤 正

明治初期、開拓使はそれまで北海道の海浜を支配していた場所請負制を廃止した。続く海浜・漁業をめぐる混乱の中で、アイヌはどう生きようとしたか、その姿を探ります。(2024年6月28日、さっぽろ自由学校「遊」での講演から。)

たきざわ・ただし 1943年、北海道岩内町生まれ。山形大学文理学部卒業後、北海道で高校教員となる。2009年、北海道大学大学院文学研究科歴史地域文化学後期博士課程(日本史学)単位取得退学。博士(文学)。構成作品に『おれのウチャシクマ あるアイヌの戦後史』(小川隆吉著、2015年、寿郎社)。

もくじ

明治初期――日本政府がアイヌ先住権を抹消した時代

今日のテーマは、「漁場改正」のなかでアイヌはどう生きたか――。この「漁場改正」が実施された明治初期というのは、先住民族アイヌが主権をはじめ、伝統的に有していた諸権利をまったく抹消されてしまって、経済的にも社会的にも非常に苦しい状態になる、その始まりの時期にあたるんですよね。この連続講座は「森・川・海のアイヌ先住権」がメインテーマですので、そこから外れないように気を付けながら、お話ししたいと思います。

「漁場改正」は、1876(明治9)年、開拓長官だった黒田清隆(1840 – 1900年)が、北海道海浜の土地所有がなかなか進展しないことに業を煮やして、その促進を号令した文書で、その命令を受けたのは、北海道現地の開拓使です。

その前後10年ほどの間で、アイヌはどのように生き抜こうとしたか、その具体像の一端を、きょうはお話ししたいと思います。

とはいえ、やはりそれ以前、江戸時代末期のアイヌのおかれた状況もある程度、知っておいたほうがよいでしょう。これがその後の権利(侵害)に深くかかわってきます。

江戸期の「場所」=地元アイヌの伝統的占有領域

こちらは18世紀末ごろの蝦夷地(えぞち)における「場所(ばしょ)」の位置図です。ご覧のように、現在の北海道島の海岸に、当時はくまなく「場所」が置かれていたことが分かります。これらの拠点でいわゆる「場所請負制(ばしょうけおいせい)」が展開され、和人経営者が先住民族アイヌから(生産物や労働力を)搾取したわけです。

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