5月~9月 講座開催中 「先住民族の森川海に関する権利6―自然環境と先住民族の主権をめぐって」

座談会 先住権の回復に向けて part 1

自由学校遊 24年後期講座:先住民族の森川海に関する権利 5—アイヌ先住権を“見える化”する

2月17日(月) 第5回
座談会 先住権の回復に向けて part 1

●藤原 顕達(ふじわら けんたつ)
 千歳生まれで恵庭育ちです。今は60 歳です! 各地方のアイヌ民族の事が知りたくて顔を出しています。
●小笠原 小夜(おがさわら さよ)
 森川海のアイヌ先住権を見える化するプロジェクトメンバー。自身のルーツであるアイヌをテーマにイラストを描いている。
●井上 千晴(いのうえ ちはる)
 浦河町出身・森川海のアイヌ先住権を見える化するプロジェクト副代表・一般社団法人アイヌ力( ぢから) 事務局 
●沖津 翼(おきつ つばさ)

 北海道帯広市生まれ、首都圏でのアイヌ活動後、現在は札幌市在住、道内のアイヌの仲間と共にアイヌ儀式などに加わり活動中。 アイヌ議会共同代表 、アオテアロア・アイヌモシリ交流プログラム実行委員。
●川上 恵(かわかみ めぐみ)
 森川海のアイヌ先住権を見える化するプロジェクト運営委員
●葛野 大喜 (くずの だいき)

 新ひだか町静内出身・北海道大学大学院博士課程
●進行:八重樫 志仁(やえがし ゆきひと)
 森川海のアイヌ先住権を見える化するプロジェクト代表

 Rehe Isam 代表

(肩書は講座開催時のものです)

もくじ

先住権をみんなで考えよう
どんなイメージを持っていますか?

八重樫

先住権を語るって難しいかな?それはどうしてですか?

権利問題ってものすごく難しいと思っていて、これまで避けていました。自分のこととして向き合えるよう勉強したいです。

アイヌの中でも、文化の発信に力を入れる人と、アイヌとしての権利問題に関心を持つ人に分かれていると感じています。

これまでアイヌ自身が国に対して声を上げてきた歴史があったのに、現在では、規模がすごく小さくなっています。その一方で、アイヌのことと言えば「アイヌ文化」という枠組みが意図的に作られているように感じます。

生まれた時には旧土人保護法があり、アイヌであるのにその法律の存在がある事すら知らずに育ってきました。

北海道(ヤウンモシㇼ)が日本の植民地となり、アイヌの権利や資源が収奪されてきた歴史を、意識的、意欲的に学ばなければ知ることができませんでした。

先住権についてアイヌ同士で普段話し合う機会が少ないので、今日の機会はすごく大事だと思います。

そもそも考える機会が少ないからこそ、話し、共有し、認知していくことが大切だと思います。

八重樫

先住権ってなんだと思う?

本来は当たり前の権利で、わざわざ言わなくてもよいものだったはずと思います。

先住権は先住性につながっていると考えています。「自分たちが望めば、その土地で変わらず暮らすことが保証される権利」だと思います。

我々アイヌ民族の失われた権利を取り戻すことこそが、先住権なのかな、と思います。お年寄りの話では、昔はサケやクマなどを獲ることができたと聞いているけれど、今はさまざまな法律によって制限されて自由にできない状況になっています

紋別の畠山敏さんのイチャルパに参加した時に、警察だらけでたくさん考えさせられた思い出があります。

畠山敏さんは、警察に拘束されるなどのリスクを背負ってでも活動していることに、同じアイヌとして大きな影響を受けました。また、浦幌のラポロアイヌネイションが国と道を相手取った、先祖から受け継いだ、川でサケを獲る権利の確認を求めた訴訟も行われています。アイヌ自身が、我々が先住権を持っている、といって、自分たちで旗を振って表舞台に出てきたことはすごく大きな前進だと思います。止まっていたアイヌの時間が再び動き出した。

八重樫

皆さんありがとう。でも、みんな堅い。難しく考えすぎ。僕、先住権って、政治とよく似ていると思います。政治は頭のいい人たちだけのものなの?そうじゃないでしょう。日々の日常生活が全て政治なんですよね。先住権も政治と同じで頭のいい人間だけに任せていてはいけない。

子育て

八重樫

この中で、子育てをしている人が何人かいますが、子どもたちをどういうふうに育てたいですか?パートナーがアイヌでない人もいますが、今子育てしている中で、みなさんは、子どもをアイヌとして、それとも日本人や他のアイデンティティを大切にして育てようとしていますか? 

八重樫

僕は、妻もアイヌで、夫婦で話し合ってアイヌとして育てていこうと思って、イベントなどがあれば必ず子どもを連れて行ってました。 

小学生の子どもがおり、夫は和人です。私は、自然とアイヌのことを知って、興味を持って欲しいと思っているので、行きたい場所にはなるべく一緒に行くようにしています。でも、「えーまた?」と不満をいうような年頃になってきたので、無理強いはせず本人の意思を尊重しています。
和人と結婚したことで、夫の実家にどう思われているか不安もありましたが、応援してもらっています。息子にもその姿を見て何か感じ取ってくれたらいいな、と思っています。

私も小学生の子どもがいます。アイヌ同士の子なので顔つきが濃くて、自分と同じでよく外国人に間違えられるので本人は嫌がっています。私は踊りをやっているので、小さいころ連れ回していて、3、4歳の時は踊りをやっていました。でも、だんだん自我が芽生えて「やりたくない」、という気持ちになってきています。自分自身もアイヌのことから離れていた時期があったので、やりたくないことは強制せず、いつでも自分が行きたい時に、行けるようにという環境にしてあげたいと思っています。

アイヌ語については、自分自身もっと早く始めたかったと思っているので、十勝出身のアイヌの親子のための勉強会をやっています。同世代の子どもたちと遊び、その中でアイヌ語に触れてくれればいい、と思っています。今現在はやる気がなく、嫌になっているようですが、いつでもアイヌのことに戻ってこられるように、と思います。

妻が外国人で、自分はアイヌです。娘は、妻の出身国と、日本人もあるけど、アイヌというアイデンティティも持っています。これは妻の努力の賜物です。
自分自身は子ども時代にアイヌであることが、まずコンプレックスでした。出身地域は差別の強い地域で「アイヌであることは恥ずかしい」と植え付けられていました。大人になってから東京に行って、目覚めて、結果的にアイヌのことをやるようになりました。

今は恥じることはありません。自分が子どもに思うことは、アイヌになれとは思わない、妻の出身国の人になれとも思わない。自分で選んで欲しい。大人になって自分の自我を持つ時に、自分が何者か考えるようになると思います。子どもは、妻のおかげで、親子のアイヌ語教室に通っています。自分ではアイヌ語を教えたいと思っていませんでしたが、妻に教えて欲しいと頼まれました。
娘は自分と違ってアイヌとして強いアイデンティティを持って育っていて、アイヌのことを小学校で披露したりしています。それがすごく誇らしく、かっこいいと思います。
子ども達のために、今の大人である自分たちがアイヌとして堂々と生きられるように、そんな未来にしたいと思います。

八重樫

僕の子どもを含めて、ある程度の年齢になると子どもがアイヌのことを続けにくくなるということですが、なんでだと思う?

アイヌのことはかっこいいという、いいイメージは持っているけれど、子どもは選択肢がたくさんあるので、大人に連れられて行くより子ども同士で遊んだり、ゲームをしたりなどが好きみたいです。子どもをめぐる環境が以前とは違うようです。うちの地域でも、子どもがたくさんいる教室などがあれば、自分も行ってみたいと思うかもしれません。

保育園時代までは(アイヌ語を)口ずさんたり、ママかっこいい、と思ってくれていたようです。でも、保育園から小学校への環境の変化や人数の多さが(原因に)あるのではないかと思います。それから、サッカーやゲーム、ポケモンとか…、もっと楽しいことがたくさんあるので、優先順位が下がってしまったのかなと思います。それと、ちょっと人と違うということに気付いて、あんまりアイヌ語を口に出さない方がいいかな、と思っているのかな。

アイヌがアイヌでいられる環境

八重樫

今語ってくれることが先住権じゃない?アイヌがアイヌでいられる環境が無い。
周りがみんなシャモ(和人)だから、その中にポツンとアイヌがいる。これが先住権を侵害していると僕は思います。シャモの中にいると緊張して、疲れてしまう。このような精神的な困難を抱えている人が身近にいます。
浦河町にある、べてるの家では、アルコール依存症の人の自立支援のAA(アルコホーリクス・アノニマス)に取り組まれています。それを参考にして、アイヌにも同じようなものが必要だということで、僕たちは、チームチノミシㇼという団体をつくりました。チームチノミシㇼは基本的にアイヌがメンバーになれる団体で、妻は「ここにくると安心する」と言いました。

八重樫

この中に、アイヌ文化を学んでいる方がいらっしゃいますが、なぜ学んでいるのですか?

私は身のまわりにアイヌの風習に触れる環境が無かったため、大人になって自分がアイヌだと意識した時に和人の文化しか身についていない事に気づき、もう1つのルーツであるアイヌ文化、歌や踊りやアイヌ語が話せない事がとても悔しいと思いました。親は差別の厳しい地域、時代に育ち、アイヌ文化から遠ざけられてきた世代なので、親子間の伝承も難しい状況でした。少しでもアイヌに関する知識を得たいと考えるようになり、アイヌ関係の職場に身を置きましたが、知識だけでなく物づくりの実践的な技術も学びたいと考え、現在アイヌ文化を学ぶプログラムに参加しています。

八重樫

その状態って民族として正しい姿だと思う?親からなにも民族のことを教わらないで成人してきた。それって民族として正しいことなのかな?どう思う?

正しいというか、そういう環境にいなかった状況が悔しいし、腹ただしい、取り戻したいと思います。

八重樫

アイヌのことを何も知らなくて悔しい、って思ったんでしょ。自分が今置かれている状況が、先住権が侵害されているってことだと思わない?そのことに気づくことが大事だよね。

私自身は、身体的特徴など、一部分を見て「お前アイヌじゃない」と言われることがあります。ひいおばあちゃんはアイヌの女性でしたが、小さい頃、アイヌ語を話しているところを見たことも聞いたこともなかったです。6つ下の弟だけはお母さんが千歳で行っていたアイヌ語教室に行って学んでいましたが、自分は働いていたので習うチャンスがありませんでした。

大人になって、地域のアイヌ協会に入ってから、先住権やサケをとる権利などいろいろなことに興味を持つようになりました。
また、さまざまな地域を訪問する中で、伝統の地域差にも気がつくようになりました。例えば、うちの地域では、内陸なので、サケを獲る時マレㇰ漁で獲ります。同じマレㇰ漁でもカギがどう魚に刺さるかなど地域によって違いがあります。しかし、このような地域差に対して、「間違っている」と言ってしまう人がいます。地域による違いを軽んじてしまうような風潮を変えていかなければいけないと思います。

先住権の現状への思い

八重樫

ところで、さっき「先住性」という言葉が出てきたけど、これをもっと詳しく説明して欲しいな。

日本政府は、アイヌが先住民族であることを認めています。つまり、アイヌがもともとこの土地に住んでいたことは認めているわけです。だから、本来なら土地を返すなどの保障が必要だと思うのですが、実際には何も行われていません。結局、「先住性」というものがあっても、現状では何の機能もしていない。先住権がないから、保障も認められていない。つまり、「権利のない先住性」だけがある状態です。
それなのに、ヘイトをする人たちは、アイヌが先住民族であることを否定するために「先住性」という言葉を利用しているのが現状です。

八重樫

日本政府は先住性は認めるけど侵略してないって言ってるってこと?

それも言ってないです。ラポロアイヌネイションの裁判は去年決着がついて、先ほどの話のように、日本政府は「アイヌ民族は先住民族です」と認めてはいますが、権利に関することは一切認めないと固く拒んでいます。そもそも、権利を認めるかどうかという議論にすらなっていません。
日本国民の多くは沖縄も北海道も、もともと植民地化されて統治されてきたことを事実としてわかっていると思うんです。それなのに、本来認めるべき権利を認めてもらえないのは納得できないです。
人間はみんな先祖から続いている歴史のつながりの中で生きてきています。それなしに、自分たちを語ることなんてできないんですよ。それなのに、奪われた側の人間は基本的な権利が認められない、というのが問題です。

そういう状況の中で、アイヌの活動をしている人は、自分自ら取り戻しに行っています。これは活動をしているひとりひとりみんなのモチベーションだと思います。これは誰かから与えてもらうんじゃなくて、自分から取りに行くもの。それに気づいた人が行動を起こしています。でも、本来は、こういうことを自分で取りに行かなくても、当たり前に受け取れる社会であるべきなんです。そこにみんな怒りと悔しさがあります。
どこまで行っても、やっぱり自分はアイヌだし、それを捨てることはない。だから、アイヌとして声を上げ続けるしかないと思っています。

遺骨の返還、再埋葬、先祖供養の形

八重樫

遺骨返還1のこともアイヌの先住権と関わってくる問題だと思います。みなさんどう思いますか?

八重樫

僕の母は、小さい頃から墓参りをしたことがないから、どこにお墓があるのかわからないと言っていました。遺骨返還の話題が出た時に、「もしも先祖の遺骨が盗られていたとわかったら、遺骨を還してほしいか」と聞いてみたところ、「別に返して欲しいと思わない」と言われました。
母方の親族は新年に先祖供養のシンヌラッパをするので、遺骨自体を崇拝しているわけではなく、骨に対する考え方はかなり違うのかな、と思います。

先日、テレビ番組で、琉球の洞窟から見つかった何千年も前の人の遺骨がこれから歴史を解明するために研究されるという話を見ました。遺骨ってそんなに研究したいものなのだろうか、と思いました。
所属しているアイヌ協会は、ウポポイから遺骨の返還を受けています。この遺骨は、道路拡張工事で発見されたものでした。アイヌ民族特有の埋葬の仕方であったので、アイヌ民族とわかったそうです。また、遺骨の歯からDNA分析をしたら、遺伝的にもアイヌ民族かどうか分析できると説明を受けました。
これまで自分は、歴史的な盗掘は副葬品を目的にして行われたのかと思っていましたが、本当に遺骨が研究材料、サンプルとして思われているんだな、と感じました。

今ウポポイに遺骨がたくさんありますが、各協会で「誰が管理するの?」「今の世代はいいかもしれないけど、次の世代にどうやって引き継ぐの?」「誰がお墓参りに行くの?」などのさまざまな声を聞いています。アイヌはそもそもお墓参りに行く習慣はありませんでしたが、背景知識を持つ人が少ないのでそんな会話が飛び交うんですよね。アイヌにルーツを持っている人は、そういった知識は学んで欲しいと思います。
遺骨の返還については、主に60代、70代の方が中心で活動されていますが、この世代の方たちは、自分たちの世代で遺骨の問題は国と決着をつけなければ、という思いが強いようです。先輩たちを見て、私もしっかり考えていかなきゃいけないと思っています。

うちは物心ついた時は神棚があったし、無宗教と言いつつ浄土真宗でお経も聞いて育ちました。でも年々、各地域でイチャルパ(先祖供養)が増えてきたと感じています。
数年前、北大の研究者から、ウポポイに遺骨が納骨される前に、あるコタン(集落)の遺骨を出身者の子孫に返還したいという話がありました。でも結局上手くいかず、ウポポイの納骨堂に入れられてしまいました。どうして遺族がいるのに取り戻せなかったのか、とモヤモヤした気持ちが残りました。

母方の実家にある墓地は、アイヌと和人の墓が混同している状況でした。先祖の墓は土まんじゅうがいくつかあるだけのお墓だったので、子供の頃は『貧乏で墓石が買えないのかな?』と勘違いをしていました。我が家ではある時期までアイヌについてタブーだったので、アイヌと和人の風習の違いがわからなかったのです。ある時期に全道各地でアイヌ墓地の改修工事が進められ、アイヌプリ(アイヌ式)だった先祖の墓は、和人の風習である墓石に変えられてしまいました。

今のアイヌの中には、ウポポイでの慰霊に賛成する人もいれば、反対する人もいます。ウポポイで慰霊をしたいと思う人が確実にいるのは事実です。でも、それを探す機関もなければ、見つかったとしても、どうやって慰霊するのかが難しい。
自分は、ウポポイの設備や環境は慰霊施設ではないと思っています。
慰霊をしたい人がどうすればいいのか学ぶ場すらない。それ自体が、権利の侵害ではないかと感じます。仲間と集まれる場もなく、慰霊をしたい人が集まることすらできない状況にされている。
まるで「アイヌはもういない」と扱われているように感じます。

いろんな考え方がある中で、
「学術的にはこうだよね」
「アイヌ文化ってこうだよね」
「だからアイヌは骨に興味ないよね」
と、一括りにされてしまう。その結果、今を生きているアイヌが、アイヌとして扱われていないと感じます

私は、ウポポイの慰霊施設で、副葬品は置いていくのに、骨だけ持っていくというやり方に納得できません。
私たちの協会では、最初に国土交通省に対して、「ウポポイの慰霊施設で副葬品も一緒に預かってもらえるなら、そこで一緒に慰霊してほしい」とお願いしました。
しかし、国からの答えは「副葬品は受け取れません」でした。
その結果、私たちは遺骨の返還を求めることになりました。でも、そのやりとりの中で、長期間何の連絡もなかったり、コミュニケーションがうまく取れなかったりと、大変な思いをしました。

最初にアイヌの骨が研究のために掘り出されたと聞かされた時、「マジで?」と目玉が飛び出るほど驚きました。それはまずい、そんなことが放置されていていいわけがない、と思っていました。15年ほど前まではアイヌの遺骨の返還がそこまで問題になっていませんでした。しかし、コタンの会の清水裕二さん2、平取町の木村二三夫さん3、浦河町杵臼の城野口ユリさん4、小川隆吉さん5をはじめ、多くの方々が行動を起こしていることを知り、良い意味で大きな衝撃を受けました。
以前、木村二三夫さんに「地元の反応はどうですか?」と質問したことがあります。すると、「君はいい質問をしますね、鋭いですね。全然支持者はいませんよ」と言われました。多くの人にとって、この問題は面倒で、難しく、敷居が高いと感じられているのだと思います。しかし、立ち上がった方々には、「同胞の先祖の遺骨が不当に扱われ、そのままにしていていいはずがない」という強い思いがあります。私も、まさにその通りだと感じています。
一部の人だけではなく、アイヌ同士がみんなできちんと話し合って、考えて答えを出していくべきだと思います。あまり言いたくないけれど、アイヌがまとまってこなかったことが、今もアイヌが軽んじられている要因になっているのではないかと思っているので、私はそれをひっくり返したいと思っています。

大人になってアイヌのことを学び始めたとき、師匠から「アイヌはお墓で祈らないんだ。イチャルパをやるから、とても便利だよ」と言われました。これは、わざわざお墓に行かなくても、カムイノミ(儀礼)と一緒にイチャルパを行い、自分の先祖に祈ることができる、という意味です。最初はうまく飲み込めませんできませんでしたが、だんだんと、これはいい考え方だな、と思うようになりました。
亡くなった人を送るという意味では、どんな様式であっても本質は変わりません。ただ、私は子どもの頃から仏式のやり方などにしっくりこなかったため、アイヌプリ(アイヌ式)を学ぶことができて本当に良かったと感じています。自分が亡くなった後は、子孫がイチャルパで「ありがとな」と言ってくれたら、それだけで十分だと思っています。

八重樫

みなさんありがとうございます。僕は小中学校の時に作家の星新一の大ファンだったんです。でも、星新一が小金井良精6の孫と聞いた時にすごくショックを受けました。

アイヌとして誇りが持てる社会のためには?

八重樫

アイヌ施策推進法では、「アイヌの人々が誇りが持てる社会の実現」と書かれています。でも、これまでみんなで話してきて、本当にあの法律でそんなものを作ろうとしているの?と思います。

八重樫

僕はこの前、ヤウンモシㇼ(北海道)には弥生時代が無かった、ということを初めて知りました。皆さんは知ってましたか?

私は、札幌市のピリカコタンで子ども達に展示を説明しています。北海道には弥生時代が無い話は、話の入口として、小学4年生と中学2年生に北海道の歴史を説明する入口にしています。
子どもたちの反応は、「へー!」と驚くことが多いです。
しかし、中には目の前にいる私たちがアイヌだとは思っていなかったり、
「どの山から降りてきたの?」といった、突拍子もない質問をされることもあります。

八重樫

じゃあどのようにしたら民族として誇りが持てる社会になるかな?

私は、まず国立アイヌ・ウタリ人権センターを設立し、それを国の予算で運営できるようにするのが理想だと考えています。そのようなセンターがあれば、誰もが安心して信頼でき、自分のアイデンティティを明かせる場所になってほしいと思います。現在、「誰がアイヌなのか」という定義も明確ではないため、「私はアイヌです」と公の場で発言すること自体がリスクを伴う状況です。こうしたセンターができれば、国もアイヌの人権運動に協力しやすくなるのではないでしょうか。
今の状況では、差別を受けている当事者がリスクを負って声を上げなければならず、その負担があまりにも大きいと感じます。もう少し声を上げやすい環境を整えるためには、もっと大きな支援が必要です。
現状では、警察もアイヌ差別に対して動こうとしません。アイヌは、現在もなお先住権を認められず、差別を受け続けていることを理解してほしいです。警察は「スピードを落とせ」「飲酒運転禁止」といったポスターは作りますが、「アイヌへの差別を禁止する」といった啓発ポスターは作らず、何も言わず、何も行動しません。新法には差別禁止とは書いてあっても法的拘束力はなく、差別した人を法律では捌けない状態です。

こういう場もそうだけど、アイヌが協力的になって自分の体験を話すことが必要だと思います。リスクもあるけど、草の根の運動をしていくこと。団体をつくったり、議員になったりして、誰かがスピーカーにならないといけないと思います。アイヌ自身が苦しんでいる、ということを認知させないといけないと思います。だからこそアイヌ文化だけでない、人権のための機関が必要と思います。

八重樫

今大事なことを言ったんだけど、今アイヌがアイヌのことを決めようと思っても決定権がないんだよね

アイヌ民族のための人権センターは良いアイディアですね。東京には様々な問題を抱えた方々のための人権センターがあり、その中の1つにアイヌ民族のための窓口もありますが、あまり知られていません。北海道にこそ必要なのではないでしょうか。

宇梶静江さん7は「闘うアイヌ」として知られていますが、最近は「力強く言うのではなく、みなさん手と手を取り合いましょう。アイヌが権利を取り戻せ、と一方的に力強く言ったところで国はいまだかつてなにもしてこなかった。これじゃあダメだと気づいたから、日本人も外国の人もアイヌも手と手を取り合って踊りましょうよ」とおっしゃています。このところは、語りましょう、踊りましょう、手と手を取り合いましょうという柔らかい表現に変わってきています。意外ですかね?

八重樫

意外ですね。森川海研で上武やす子さんにお話を聞いたときにも、我々にエールを送ってくださったのですが、90代にもなると考え方など変わってくるのかな。
また、「right=権利」という訳が誤訳なのではないかと感じています。「権利」という言葉はどうしても強い印象を与えてしまいます。どうしても多数派の賛成を得ないと物事は進んでいかないと思う。シャモの心地の良い言葉を使わなければいけない。今ここにはアイヌだけだからはっきり言うけど、もし相手がシャモだったら全然違う話をしていると思います。

座談会全体を振り返って

今回の座談会では、様々な年代であったり、異なるご経験をお持ちのアイヌ民族の方々がご登壇くださいました。会場、オンライン参加者からも「面白かった」「新しい情報、気づきなど学びがたくさんあった」「怒りを感じた」と多くのコメントをいただきました。

その中で座談会の最後に、ウポポイの展示に関する意見が飛び交い、

  • アイヌ民族の良い部分だけを見せている
  • アイヌ民族に全く配慮がないわけではない気もする
  • 日本政府の、アイヌ民族に対する加害の歴史などは避けられている
  • 一言で表現するのは難しい

など、皆さんの意見を共有いただきました。

今回議論に上がったウポポイの展示をはじめ、アイヌ民族に関する表現に疑問を抱いた際に、声をあげるべきなのはアイヌ民族なのでしょうか。和人なのでしょうか。
本記事をお読みいただいている皆さまは、どう考えられますでしょうか。

本講座の目的は議論を深めることです。この疑問に関しても多くのコメントがありましたが、多数の方が、「アイヌ民族自身が声をあげるべき」という考えに強い疑問を感じられていました。

アイヌ民族が持つ当然の権利を、アイヌ自身が取り戻さないといけないのか。なぜ奪われた側のアイヌ民族だけがそこまでしないといけないのかという疑問がある。

和人が先住民族を利用して、和人の意に沿う形で作った施設「ウポポイ」のクレームを、先住民族当事者に言わせようとするのは和人の越境行為ではないでしょうか。

マジョリティは勝手に関わらないことができますが、マイノリティは自分をやめることができません。運動の中で、マイノリティはマジョリティの機嫌を損ねないように配慮し続けてきたのだと思います。この権力勾配をマジョリティが自覚していないことが、運動の中の差別を浄化できない原因ではないかと思いました。

登壇者からも

みんなで声をあげるべきではないか

アイヌ民族だけが声をあげるべき、とは加害者である和人は言える立場にはないのではないか。

という投げかけがありました。この問いかけのように、まだまだ和人の中で、アイヌ民族の歴史、和人の加害の認識が足りないということは、言うまでもありません。今回の問いは、マジョリティ内でこそ議論しなければいけないのではないでしょうか。

森川海のアイヌ先住権を「見える化」するプロジェクトでは、アイヌ民族と和人のメンバーが協同しています。改めて、私はマジョリティである和人として、自分の立場を考え、認識しながら日々活動出来ているのか、と非常に考えさせられる会でした。

(まとめ:七座有香、双木麻琴)

さっぽろ自由学校「遊」
12. 先住民族の森川海に関する権利 5—アイヌ先住権を“見える化”する | さっぽろ自由学校「遊」 さっぽろ自由学校「遊」が参画している「森川海のアイヌ先住権研究プロジェクト」も3年目となり、その成果をまとめ、ウェブサイト等を通じて発信していくことが予定されて...
  1. 遺骨返還:形質人類学の研究目的で明治以降、北海道、樺太、千島列島からアイヌ民族の遺骨や副葬品が人類学者によって盗掘・収奪され、全国の大学や博物館に収蔵されていた遺骨のうち大多数が未だに地域に返還されていない問題。1980年代から、複数の地域のアイヌ民族が遺骨の返還と再埋葬を求めたが、大学側の不誠実な対応により、返還交渉は困難を極めた。そのため、浦河町杵臼の遺骨返還裁判(2012〜2016年)を皮切りに、返還を求める多くのアイヌ民族側は司法の場で闘わざるを得なかった。日本政府は2014年、アイヌの人々による尊厳ある慰霊の実現と、返還準備が整うまでの適切な管理を目的として、ウポポイ(民族共生象徴空間)内に慰霊施設を建設する方針を決定。2025年3月時点で、大部分の未返還の遺骨がこの施設に集約されている。しかし、返還手続きの煩雑さなど、アイヌ民族への負担が依然として重いことが批判されている。また、地域内で再埋葬や慰霊の方針がまとまらず、返還が実現していないケースもある。 ↩︎
  2. 清水裕二 (1941~):北海道新冠町泊津出身。北海道内の中学校や養護学校で教員を務め、定年退職後は江別アイヌ協会(旧・北海道ウタリ協会江別市支部)の支部長などを歴任。小川隆吉の請求によって開示された、アイヌ人骨と副葬品に関する文書の調査と人骨の「発掘」の真相解明を求める「北大開示文書研究会」の共同代表。また、日高地方のアイヌらでつくる「コタンの会」の代表として、アイヌ遺骨の返還・慰霊のための活動や先住民族の権利回復に注力している。 ↩︎
  3. 木村二三夫 (1949~):北海道平取町貫気別出身。現新冠町のアネサル(姉去)に作られた新冠御料牧場から貫気別に強制移住させられた先祖を持つ。2016年から2022年まで平取アイヌ協会の副会長を務める。アイヌ遺骨の返還や「アイヌ民族に関する研究倫理指針」の再考を求める活動に取り組んでいる。 ↩︎
  4. 城野口ユリ(1933〜2015):北海道浦河町杵臼出身。北海道ウタリ協会浦河支部の会員・理事として伝統文化の継承に努める。「少数民族懇談会 」の設立にも参加し、長年副会長を務めた。浦河町杵臼から持ち去られた親族の遺骨の返還を求め、2012年に小川隆吉らと共に北海道大学を提訴した。2015年病没。 ↩︎
  5. 小川隆吉 (1935~2022):北海道浦河町杵臼出身。2008年に北海道大学に対して、アイヌ人骨と副葬品に関しての文書開示請求を行なった。自身の伯父を含むアイヌ遺骨の返還を求め、城野口ユリらと共に北海道大学を提訴した。2016年の和解により、地域への再埋葬を実現した。他にアイヌ共有財産裁判でも原告団長となるなど、アイヌ民族の権利回復運動に尽力した。 ↩︎
  6. 小金井良精 (1859~1944):東京帝国大医科大(現東京大学医学部)に勤め、解剖学者・人類学者として『日本石器時代人=アイヌ説』を提唱した。研究のためとして、1888年、1889年に北海道各地と千島列島のアイヌ民族の墓から遺骨を収奪した。 ↩︎
  7. 宇梶静江(1933~):北海道浦河郡荻伏村字姉茶(現浦河町)出身の詩人、文筆家、アイヌ刺繍をもとにした古布絵作家。1973年に「東京ウタリ会」を設立し、アイヌの権利回復を目指して講演活動や文化普及活動に精力的に取り組む。2021年から北海道白老町に移り、一般社団法人「アイヌ力」を立ち上げアイヌの学びの伝承を続けている。 ↩︎
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