10月~3月 講座開催中「先住民族の森川海に関する権利 5—アイヌ先住権を“見える化” する」

先住民族って誰のこと?先住権ってなに?

自由学校遊 24年後期講座:先住民族の森川海に関する権利 5—アイヌ先住権を“見える化”する

10月21日(月) 第1回
先住民族って誰のこと?先住権ってなに?

●上村 英明(うえむら ひであき)
 森川海のアイヌ先住権研究プロジェクト運営委員
 市民外交センター顧問 
●広瀬 健一郎(ひろせ けんいちろう)
 鹿児島純心大学人間教育学部教授
 

(肩書は講座開催時のものです)

もくじ

「先住民族」という集団はどうやって誕生したか?ー日本社会での先住権に関する議論の不足ー

上村さんから、先住民族、先住権について人権や近代植民地主義の観点からお話を伺いました。

「人権」の構造:個人的権利・集団的権利と先住権

先住権の議論のためには、先住民族が人権という枠組みで、「集団としての権利(集団的権利)」を持っていると認められる必要があります。しかし、日本では、アイヌ民族の「集団としての権利」が十分に議論されていません。

 集団としての権利とは、個人だけでは成り立たない権利を指します。こうした権利がなければ、個人の権利がむしろ保障されない状況も生まれます。例えば、労働者が団結して労働組合を作ることができるのは、集団としての権利が認められているからで、これが保障されていなければ一人ひとりの労働者の権利が脅かされる状況が生まれます。また、言語の権利も集団としての権利が保障されてこそ実現します。現在も路上で誰かが何語で話しても自由ですが、ある個人が自由に、例えば日本語を話せる環境を保障するためには、学校があり、教師がいて、教材が必要です。つまり、日本語を学ぶためのリソースが提供されていないと日本語を自由に話すことができません。この集団としての言語権は、現在国家にのみ保障されています。

繰り返しますが、こうした人権を個人が行使するためには、集団としての権利保障も不可欠です。この原則は、一般に多くの集団としての権利が否定されてきた先住民族にはことさら重要です。先住民族が自らの言語や文化、土地や資源を守るためには、集団としての権利が必要です。しかし、現在の日本では、国家が集団の権利をほぼ独占しているため、マイノリティや先住民族の権利が十分に認められていないのです。これは、個人間と同じように集団間においても差別やいじめ、支配や抑圧があったということです。


近代植民地主義:その正当化の論理

植民地主義はかなり古い歴史をもつもので、ギリシアの植民都市の建設やローマ帝国の拡張の中「植民市」「自治市」「同盟市」などの植民地支配システムが構築されました。これに対し、近代植民地主義は、西欧における近代国家の成立を背景に、その近代的軍事力、官僚制度、資源収奪、支配正当化のイデオロギーなどを総動員して、別の集団の支配が行われたことです。

とくに、植民地主義が解体されたかにみえる現在でも、植民地主義を論じなければならない理由は、支配正当化のイデオロギーが社会のすみずみにまで広がっているからだと思います。西欧では、16世紀にスペイン・ポルトガルを中心に近代植民地主義が展開します。その最初の支配正当化イデオロギーは、キリスト教とアリストテレスと結びついたスコラ哲学です。キリスト教徒以外の人々を排除し、その土地を自由に取得してよいというローマ教皇の勅書などに現れています。コロンブスの「アジア」到達を受けて、教皇アレクサンデル6世は1493年「教皇子午線」を引いて、スペイン・ポルトガルに世界の分割統治を許可しますし、これをもとに、トルデリャス条約(1494年)、サラゴサ条約(1529年)が締結されます。さらに「新大陸」の住民の処遇を巡っては、アリストテレスの「自然奴隷人論」(生まれながらにして奴隷になる人々)を論拠に支配が正当化されました。

第2の支配正当化イデオロギーは、ハーバード・スペンサーに代表される「社会進化論」です。チャールズ・ダーウィンの『種の起源』(1859年)に触発され、その自然選択説を適者生存(survival of the fittest)と読み替えたのが、彼の『生物学の原理』(1864年)です。これは人間社会にも進化があり、遅れた集団は資源や土地を有効に活用する術を知らない、と位置付けます。そのため、進んだ集団が遅れた集団を導く使命があるとし、このイデオロギーはその後の植民地支配(Manufest Distiny:米国の西部開拓、A Sacred Trust of Civilization:国際連盟規約)の拡大に利用されます。

日本においても、2つの支配正当化イデオロギーをみることができます。ひとつは幕末にみる国学(水戸派を基盤にする)で、これは日本における華夷秩序を強調しました。征夷大将軍や尊皇攘夷、さらには「蝦夷地」にみるまでもなく、「夷=未開で野蛮な外国人を排斥する」という思想です。さらに、スペンサーの「社会進化論」は1880年代日本の知識階級に大きな影響を与えました。

日本の近代植民地:その歴史教育、歴史認識

私が日本の植民地問題に関心を持ったのは、1980年代で、それが私の家族が台湾からの「引揚者」であったからです。つまり、植民地への入植者であり、難民として日本に帰還した家族の下に生まれました。そして、東京に出て、植民地について学ぼうとした時、周囲から言われたのは、最初の植民地台湾でした。日清戦争が終結した1895年~1945年のことです。これは、現在も日本政府の公式見解です。しかし、それは本当でしょうか。そこで、私のヤウンモシㇼ(北海道島)や琉球への旅が始まりました。

確認ですが、「ヤウンモシㇼ(北海道島)」の歴史やアイヌ民族の先住権について、日本全体がまだ十分に向き合えていないのが現状です。が、他方、「北海道」はオーストラリア、カナダ、米国などと同じく、入植者が先住民族やその土地・資源を支配した、セトラーコロニアニズム(入植者植民地主義)の歴史を持つ土地で、最近はこの議論がやっと歴史学でも始まるようになりました。現在も植民地支配が継続しているという問題を解くには、有効は方法です。

但し、矛盾した状況も深刻です。1997年の二風谷ダム裁判の判決文では、アイヌ民族の存在に関して、「我が国の統治の及ぶ以前に…」と記され、近代以前の「北海道」が日本国の領土ではなかったと法廷で具体的に認識されました。その後、2008年に日本政府はアイヌ民族を先住民族として認めましたが、これは、本来アイヌ民族への植民地支配を認めることであり、権利保障が始まることを意味します。しかし、「北海道」がかつて植民地であったあるいは今もそうであるという認識は、日本社会では依然少数派にとどまっていますし、歴史学者の間でも、北海道を植民地とみなして議論する人々は限られています。(「内国植民地」という議論も中途半端な問題の多い議論です。)

「ヤマト民族の国」の捏造と近代国家の起源の誤謬

先住民族や先住権の考察は、近代国家の誕生に遡りますが、これに向き合えないひとつの理由は、近代国家の誕生が実は誤謬に満ちているからです。明治は1868年1月の王政復古の大号令に始まると言われますが、新政府は実体化していません。何故なら直後に、戊辰戦争が開始されたからです。函館戦争の敗戦による旧幕府軍の解体で戦争が終結したのが、1869年6月です。それに伴い、近代国家形成が始まります。1869年7月に始まった「版籍奉還」で、武家政治に始まった武士(封建領主)へ委託した土地(版)と人民(籍)を天皇に返還することでした。これで近代国家の枠組みが形成されますが、この国家は、「近代的律令国家」と呼ばれるべきものです。青写真としては、1868年閏4月の「政体書」によりますが、1869年7月の「職員令」などで実体化します。これは太政官制と呼ばれる太政官・神祇官の二官と八省から構成されます。平安時代の再来です。

そして、次のことが起りました。まず、1869年7月に「開拓使」が設置され、同年8月には「蝦夷地」が「北海道」に改称され、同じく11国86郡の「国郡制」が施行されました。

想像できると思いますが、「開拓使」は、検非違使や追捕使など天皇直属の軍事・警察部門に倣った官庁で、「省」に匹敵します。同時に、「北海道」の改称は、「版籍奉還」の矛盾を解決するものでした。天皇の土地と財産を返還するにしても、それらしき行政単位は幕藩体制の中松前藩だけでした。つまり旧「蝦夷地」を天皇の土地と言い張るためのトリックが、平安時代の広域行政区域を意味する「道」の新設だったのです。平安時代には日本国の構成は「五畿七道」と言われていましたが、「北海道」の新設で現在の「五畿八道」に変化しました。「国郡制」も、「ヤウンモシㇼ」に日本の国内行政制度が初めて施行されたことを意味します。つまり、1869年まで「ヤウンモシㇼ」はアイヌ民族の土地で、日本にとっては「外国」、そしてこの時、近代植民地主義が明確に始まったのです。

現在の日本の歴史教育は現実を直視しておらず、特に北海道の歴史について本質的な再考が必要です。先住民族としてのアイヌ民族の権利を議論するには、北海道がかつて植民地であったという歴史的事実を認識し、その事実に基づく対応が求められます。

ラポロアイヌネイション漁業権裁判札幌:地裁判決から考えるアイヌ民族の植民地化・脱植民地化・先住民族化

広瀬さんから、ラポロアイヌネイションが取り組んでいる「先住権として川でサケを獲る権利」を求める裁判について、判決文の検証を伺いました。また、先住民族の権利運動に長い歴史を持つカナダと日本との法整備の比較についてもお話を伺いました。

ラポロアイヌネイション:北海道十勝郡浦幌町内に居住・就業するアイヌで構成される団体。2014年から浦幌アイヌ協会(現ラポロアイヌネイション)は、奪われた先祖の遺骨返還を求めて北海道大学等を順次提訴し、裁判和解にもとづき返還された合計102体の遺骨を浦幌町の墓地に再埋葬。2017年には北米サーモンピープルを訪ね、先住権と彼らの漁獲権をめぐる闘いについて学ぶ。2020年にラポロアイヌネイションと改称、国と道に対し先住権確認訴訟を起こし、市民による支援に支えられて継続中。 

裁判について詳しく知りたい方はこちらもご参照ください

地裁判決の検証

 今回注目する、ラポロアイヌネイションによる訴訟への札幌地裁による判決文は以下の通りです。

アイヌの人々は、わが国の統治が及ぶ前から北海道に居住していた先住民族であり、遅くとも江戸時代以降、その属するコタン周辺の河川で遡上するさけの漁をしておりさけ漁がアイヌの生活、伝統、文化等と密接に関わるものであることが認められる。しかし、このような歴史的経緯やアイヌの伝統等を踏まえたとしても、河川はいわゆる公共用物であり、国又は当該河川の存する地方公共団体の直接の公法的支配管理に服し、特定人による排他的支配の許されないものであるという性質に加え、さけは、海から河川に遡上し、その河川において産卵生育等をする特質を有する塑河魚類であって、特定の限られた場所に留まらない性質を持つ天然の水産資源であることに鑑みれば、このような水産資源について、特定の河川のうち一定範囲に限定したとしても、特定人又は特定の集団が固有の財産権として排他的に漁業を営む権利を有すると認めるのは困難と言うべきである。

*札幌地裁判決、46-47

…アイヌの人々の文化享有権が憲法13条により保障されるところ、この一環として、アイヌの生活、伝統、文化等において重要な部分を占める内水面におけるさけの採捕は、少なくとも伝統的な儀式若しくは漁法の伝承および保存並びにこれらに関する知識の普及啓発等の範囲において認められるべきであり、また、さけの採捕に係る宗教的意義を持つ儀式等は憲法20条により尊重されるべきものであると解される。しかし、前記アのとおり、本件漁業権はこれらの範囲を超えるものであることは明らかであって、財産権としての側面が強いものというべきである……アイヌ施策推進法17条を受けた水産資源保護法28条ただし書き及び本件規則52条に基づき……特別採捕許可を受けて、さけの採捕をすることができるとされている。かかる例外的取扱いはアイヌの人々の文化享有権が保障されていることに配慮されたものと解され、水産資源保護法28条による規制がアイヌの人々の文化享有権に対する不合理な制約となっているとまで解することはできない。

*札幌地裁判決、51−54頁

この判決文に対し、以下の4点を検証していきます。

  1. 我が国の統治が及んだ時点で、原告の属する「集団」が「排他的」な漁業権を有していたかどうか。
  2. もし有していたのであれば、その河川がいつ、どのように「公共用物」となり、アイヌ民族の漁業権は合法的に消滅したと言えるのかどうか。
  3. 仮に「合法」であったとしても、その法の施行が、先住民族であることに配慮したものであったかどうか――すなわち
    • アイヌ民族の合意のもとで施行されたものかどうか。
    • 施行後、アイヌの生活に対する補償がなされたのかどうか。
  4. 原告に「漁業権」が認められる場合、そこにおける「漁業」の内容は何か。

① 我が国の統治が及んだ時点で、原告の属する「集団」が「排他的」な漁業権を有していたかどうか?

判決文では、アイヌの人々が遅くとも江戸時代以降、その居住地周辺の河川でサケ漁を行ってきたことは認めつつも、「排他的」な漁業権を有していたかどうかについては判断を避けています。

② もし「排他的」な漁業権を有していたのであれば、その河川がいつ、どのように「公共用物」となり、アイヌ民族の漁業権は合法的に消滅したと言えるのかどうか?

札幌地裁判決では、河川は「公共用物」であるため、特定の集団が排他的に漁業を営む権利を有することは認められないと結論付けています。 しかし、河川がいつ、どのように「公共用物」となったのか、その過程でアイヌ民族の漁業権がどのような法的根拠に基づき消滅したのかについては、具体的な説明が欠けています。

③ 仮に「合法」であったとしても、その法の施行が、先住民族であることに配慮したものであったかどうか?

●アイヌ民族の合意のもとで施行されたものかどうか?

●施行後、アイヌの生活に対する補償がなされたのかどうか?

札幌地裁判決は、アイヌ民族が伝統的な儀式や漁法の伝承などを目的とするサケ漁は認められるものの、それ以外の漁業権は否定しています。 しかし、「アイヌ民族の漁業権の消滅」がアイヌ民族の合意に基づくものかどうか、また、漁業権の制限によって生じるアイヌの生活への影響に対する補償がなされたのかどうか言及していません。

④ 原告に「漁業権」が認められる場合、そこにおける「漁業」の内容は何か?

札幌地裁判決では、原告が主張する漁業権については認められないとされているため、仮に漁業権が認められた場合の「漁業」の具体的な内容については言及がありません。ただし、判決はその権利範囲を「伝統的な儀式や漁法の伝承および保存、これに関する知識の普及啓発等」に限定しています。これにより、アイヌ民族の先住権は文化享有権にとどまり、その内容も「伝統的な儀式や漁法の伝承、保存、知識の普及啓発」に制限される形となります。仮にこの範囲で権利が認められるとしても、今回の漁業権がその範囲を超えているとは必ずしも明確とは言えません。 さらに、どの魚種、漁法、または漁獲物の利用法が「伝統的な範囲」を超えると判断されるのかについても具体的な検討が行われていません。

カナダと日本の先住権に対する法整備の比較

先住民族土地権原(Aboriginal Title)の法的承認

カナダ日本
1973年のコルダー事件訴訟最高裁判決において、カナダ最高裁が先住民族土地権原「アボリジナル・タイトル (Aboriginal Title)」を承認しました。この判決は、先住民族が入植以前から土地を占有していた事実に基づき、彼らの権利を法的に保障する画期的なものでした。以後、カナダ政府は先住民族との条約交渉や土地請求の解決に積極的に取り組み、先住民族の権利保障が進展しました。日本では、アイヌ民族の先住民族土地権原を明確に認める法律がありません。札幌地裁判決でも、アイヌ民族が伝統的に行ってきたサケ漁は認められたものの、河川を公共用物とみなす理由で排他的な漁業権が否定されました。これは、先住民族の土地や資源に対する権利を軽視し、国家の権益を優先する姿勢を示していると言えます。

コルダー事件訴訟:ブリティッシュ・コロンビア州の先住民族の1つであるニスガ民族(Nishga Tribe)のリーダー、フランク・コルダー (Frank Calder)氏が、ニスガ民族の伝統的な土地権原(Aboriginal Title)を主張し、州政府を相手に起こした訴訟です。当時のカナダ法は、先住民族の土地権原を明確に認めておらず、コルダー氏の訴えは州の最高裁判所で棄却されました。その後、最高裁判決では、コルダー氏は敗訴しましたが、判決文はニスガ民族がヨーロッパ人の入植した時点で、土地権原を有していたことを認めました。この判決は、カナダ政府の先住民族政策に大きな影響を与え、先住民族との条約交渉や土地請求の解決が本格化するきっかけとなりました。

最高度忠実対応義務(Fiduciary Obligation)の適用

カナダ日本
カナダでは、政府が先住民族に対し「最高度忠実対応義務」を負うことが確立されています。これは、政府が先住民族の利益を最優先に考慮し、誠実に対応する義務を負うことを意味し、権利保障において重要な役割を果たしています。日本では、「最高度忠実対応義務」という概念は法的に確立されておらず、札幌地裁判決でもこの義務の適用は検討されませんでした。その結果、アイヌ民族の伝統的な生活や文化が国家の政策によって制限される可能性が残されています。このことは、札幌地裁がアイヌの人々を「先住民族」として遇していないことを意味します。

 脱植民地化に向けた法整備

カナダ日本
カナダは、2019年にブリティッシュ・コロンビア州で「先住民族権利宣言法」を、2021年には連邦レベルで「国連先住民族権利宣言法」を制定しました。これにより、国連の先住民族権利宣言の理念が国内法に反映され、先住民族の権利保障が強化されています。日本には、先住民族の権利を包括的に保障する法律が存在しません。アイヌ施策推進法はアイヌ文化の振興を目的としていますが、先住民族土地権原を明記せず、具体的な権利保障も限定的です。また札幌地裁判決は、国連先住民族権利宣言に法的拘束力はなく、先住民族の集団的な漁業権は国際慣習法上、確立した権利ではないとして、宣言の趣旨は尊重すらされませんでした。

先住民族化に向けた取り組み

カナダ日本
カナダでは、先住民族の自治権拡大や政治参加の促進などを通じて、先住民族が政策決定に関与できる仕組みが進められています。これにより、先住民族の権利や文化が尊重され、共存関係が築かれることが期待されています。日本では、先住民族化に向けた取り組みは緒に就いたばかりで、アイヌ政策においても、アイヌ民族の意見が十分に反映されているとは言えません。真の先住民族化を実現するためには、アイヌ民族が意思決定の中心となる制度設計が求められます。

Q and A

質問1 (会場参加者) 
北海道開拓100年を記念して建てられた「百年記念塔」が、昨年(2023年)に解体されました。わたしは建築関係者なので、塔が壊されたことは「ひとつの大きな文化が失われた」という捉え方をしていました。ただ、あの塔を造ったこと、壊したことに、アイヌ民族の間に様々な考え方があると聞いたことがあります。お二人はどうお考えですか?

百年記念塔とは?

上村:ご質問の百年記念塔(開拓記念塔)に関して、アイヌ民族との交渉がどの程度あったか、詳細は把握していません。ただ、もしそもそも交渉がなかったとすれば、基本的なところですごく残念だなと感じます。

開拓記念塔の話で思い出したのは、ソウル(韓国)の朝鮮総督府のことです。韓国市民がこの総督府の撤去を要求しました。それに対し、日本の建築学会のメンバーが「重要建築物のため、保存できないか」と議論をされたんです。この議論に「植民地主義の反省」という視点がどう組み込まれているかが問題です。

その建物(今回の場合は朝鮮総督府)が自分たちの近くにあることで、地元の方々が歴史的なマイナスを感じられるのであれば、どんなに外部の人、特に加害者にとって大事な物であっても、撤去されるべきだと私は思います。

広瀬:基本的に上村さんと同じ考えです。

戸塚美波子さんという方が百年記念塔についての詩を書かれて、私は痛みの表出だと思いながら読みました。そういうことを考えると、仮にアイヌ民族の中に痛みを感じられない方がいたとしても、私は撤去されてしかるべきだったと思っています。

またカナダの現状を見ると、例えばカナダ開拓に貢献した将軍、政治家等の銅像がたくさんあるんです。でも、その人が先住民政策、特にインディアン寄宿舎学校の運営やインディアン政策に少しでも関わっていることが明らかになると、普通に撤去します。この「撤去する」ということが、先住民族と入植者(セトラー)の和解と捉えられています。そういう意味では、撤去が和解への前進のきっかけに本来はなるべきだと思っています。

質問2 (会場参加者)
私は関西方面から来たのですが、千歳空港に着くと「開拓」という言葉が商品名に使われているお土産が複数あり、エアポートエクスプレスに乗ると「イランカラプテ」というアイヌ語の挨拶があり、びっくりしました。

個人的に、開拓はポジティブに捉えていました。でも、アイヌ民族のことを勉強し始め、北海道には必要であったかもしれない「開拓」の裏にあった、先住民のアイヌの大変な苦労や悲しい惨事を目の当たりにしています。関西では、部落差別に関しては学校で学びますが、アイヌ民族のことに関しては、(当時は)教科書にも載っていませんし、勉強する機会もありませんでした。北海道の方にとっても自分たちが開拓の末裔であり、アイヌの人にとってはマジョリティだったという意識は、なかなか今の時代は持ちにくいのかなと思いました。

質問は、アイヌ施策推進法ができ、今年(2024年)は5年目で見直しの年だと思うのですが、見直しはどこまで進んでいるのでしょうか。先住権は権利として認められるのか、お二人はどのようにお考えですか?二風谷ダム裁判の判決で(1997年3月)、文化享有権や先住民族であるということは認めていても、そこから先に一歩も進んでいない気がします。

上村:特に近代になると、侵略をする人たちが「自分たちがやっているのは良いことですよ」って、こねくりまわして理屈をつけるんです。明治の日本も、開拓を「してあげたんだ」ということを前面に出して、自分たちがしてきた問題を正当化するということがあります。この問題への反省がない限り「良いことしてあげたんでしょ」という議論が、少なくとも北海道の中だけでもまだ広がっているという現状があると思います。

アイヌ施策推進法に関しても、権利は相変わらず認められていません。文化については様々な政策はあるのですが、政策であって権利ではないです。今の施策推進法は権利に触れられていないし、日本政府はいろいろ条件を付けてお金出します、という状況です。

更に、日本の政府はお金を出していれば「何かやったでしょ」とすぐに正当化をして、市民もコロッとだまされてしまうんです。「あんなに(アイヌ民族が)お金をもらって…」という議論の根底がこのような構造になって、ある種だまされている部分があると思います。

現状では、今選挙期間中ですが(2024年10月21日)、よっぽど新しい形で国会の構成が変わらない限り、2019年の施策推進法をいい方向に少しでも動かすのは、なかなか難しいですし、それをどう前進させるかが課題だと思っています。

広瀬:「開拓」という言葉が使われている時点で、アイヌ民族を抹殺した考え方ですよね。開拓者が入ろうが入らまいがアイヌ民族がいて、文化やそれに合った土地利用があったわけですよ。でも「開拓」という言葉は、何もなかったところを切り開いたという言葉ですから、開拓という言葉を使っている間は、アイヌ民族が先住民族だという認識が広がっていないということを、認めざるを得ません。実はそういうことが、教科書や副読本に表れているんです。

例えば、いわゆる和人の開拓者の名前は教科書、副読本に出てきます。本州の和人は〇〇さん、〇〇さんが最初の入植者で・・・というように個人名が書かれますが、アイヌ民族はその他大勢です。更に「(和人が到着したときに)アイヌの人たちが暮らしていました。」という過去形で書かれるわけです。こういう認識がまだ学校教育の中でも、根強く残っているという状況があると思います。

それと、アイヌ施策推進法がアイヌ民族の権利を回復するような法律になるか、という点に関しては、まず法律の枠組みからして、そうはならない(回復につながるような)仕組みになっているんです。あの法律はまず第一に、アイヌ民族に対する法律ではないんです。アイヌ施策という、アイヌ文化に関わる事業を担う人に対する法律なんですね。

それからもう一つ言うと、アイヌ施策推進地域計画というものを作って、その中で(非常に限られた)民族教育であったり、文化伝承事業ができるようになっています。でも、その計画を作れるのは市町村長なんです。市長、村長であり、アイヌではない。しかも、その地域計画作りにアイヌがどれだけ関われているのか実態を見ると、一般のアイヌ住民のほとんどにとって、雲の上で計画が作られているような面もあります。

そこを改善、変えていくというような議論は、私はあまり聞いたことがありませんし、国のアイヌ施策推進会議で、そこを根本的に変えていこうという姿勢は見えません。

質問3 (オンライン参加者)
旭川のとある方のお話を聞きました。聞いている方がほとんど和人だったこともありますが、その方は、「開拓」という言葉を多用していました。
私は、開拓という言葉は侵略者側の表現で、アイヌの方にとっては「植民地支配、土地や資源の収奪、同化」であって、現在も続いているのではないでしょうか、と質問したんです。

それに対して「よくわかるのですが、北海道自体がどのようにされたのかを考えてください。例えば屯田兵の方たちも、最後はかなりひどい境遇にあった」との返答でした。
それで、今日の上村先生の「北海道は植民地にされたままである」というご発言を受けて、もっと知りたいと思いました。でも、知るためにはどうしたらいいんでしょうか。

上村:聞いている側に和人が多く、どれだけ理解があるかわからない状況ですと、和人にとって耳触りのいい言葉が使われることがあると思います。加えて北海道の人口に対して、アイヌ民族の人口は少ないです。周りにたくさん和人がいる中で、どのように生活していくのか、という時に、自分たちの生活の視点から、あまり敵対するような環境を作りたくないという方もいらっしゃると思います。またアイヌの皆さんも日本人の教育を受けるので、例えば「屯田兵は最後ひどかった」のようなことを何度も聞かされるうちに、そういう視点もあるかな、と思わされてしまいます。教育を取り戻すということを本気でやらないといけません。

質問4 (会場参加者)
二風谷ダム裁判の争点は「先住権」だったのでしょうか。争点の扱い方がメディア、英語論文、日本語論文それぞれで異なるように感じているため、お二人のご意見をお伺いしたいです。

上村:いろいろな視点や捉え方がありますが、二風谷ダム判決が出た1997年の段階で、アイヌ民族が頼れた物はほとんどありません。あえて言うなら旧土法(旧土人法)くらいです。その中で、先住民族として認められるという判決が出たのは、驚きだったと思います。あれだけ何にもない中で一歩が始まったのが、二風谷ダム判決の意味だったと私は思います。

広瀬さんがラポロアイヌネイションの裁判の話もしてくださいましたが、あの裁判でも二風谷ダム裁判の一部が使われています。そういう基準に用いられるのが、1997年の二風谷ダム判決だなという風に思っています。

一方でこの状況は、1997年の二風谷ダム裁判から2024年のラポロの裁判まで、何も変わっていないということでもあります。それが明確にわかった部分でもありました。

参加者の感想、コメントのまとめ

今回の講座では、参加者の皆さんから、アイヌ民族の歴史や権利に関する学習が重要であると感じてもらえたようです。「日本社会がアイヌの先住権や植民地主義の歴史に十分に向き合えていないことを痛感した」という声が多く見られました。特に、北海道の歴史をオーストラリアやパレスチナ、西サハラのような場所と同じく「セトラーコロニアリズム(入植者植民地主義)」と捉える視点が印象的だったという意見がありました。

また、札幌地裁の判決におけるアイヌ民族の権利問題についても、「人権として守られるべき権利が十分に認識されていない」など、カナダの例と比較して、日本の司法や市民がもっとこうした権利問題に向き合う必要があると感じた方が多くいました。「侵略をしてしまった側のひとりとして、先住権を回復していくことに関わっていきたいと思いました」という声も印象的でした。

さらに、「脱植民地化」や「先住民族化」といったキーワードの重要性や、その実現に向けた課題を改めて認識した方も多くいました。また、「開拓」という言葉が持つ侵略者側の加害性を再確認した方もおり、先住民族の権利についての考察の土台が新たに築かれたように感じられました。多くの参加者から「もっと学びたい」という意欲的な反応が寄せられ、今後の学習や行動につながる機会となったようです。

(まとめ:七座有香、双木麻琴)

さっぽろ自由学校「遊」
12. 先住民族の森川海に関する権利 5—アイヌ先住権を“見える化”する | さっぽろ自由学校「遊」 さっぽろ自由学校「遊」が参画している「森川海のアイヌ先住権研究プロジェクト」も3年目となり、その成果をまとめ、ウェブサイト等を通じて発信していくことが予定されて...
  • URLをコピーしました!
もくじ