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今こそ国としての政策確立を-アイヌからの報告 小川早苗・川村兼一・小川隆吉・横山むつみ

本稿は1989年8月8日、「世界先住民族会議」2日目「今こそ国としての政策確立を-アイヌからの報告」(札幌市・北海道自治労会館)における4名のスピーチの記録です。

  • 小川早苗 札幌在住。ウタリ協会札幌支部副部長
  • 川村兼一 旭川在住。近文川村カネトアイヌ記念館館長
  • 小川隆吉 札幌在住。ウタリ協会理事。札幌市ウタリ教育相談員
  • 横山むつみ 東京在住。関東ウタリ会・ペウレウタリの会会員
もくじ

小川早苗 実態にそぐわない制度「アイヌ子弟教育の現状」

萱野、野村両氏の講演の中にあった日本国政府による強制的同化政策によって、アイヌの生活、言語、風習、歌や踊りはなきものとされ、明治7年の風俗禁止令などによって和人との生活の格差が拡大した結果、先住民族アイヌは不安定労働、低学力に苦しみます。アイヌは必要のない学閥社会、私有財産社会に放り投げられ、差別のみが大手を振ってまかりとおる今日です。

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アイヌ子弟に対する今の国が行なう教育制度では、一定の財力、学力がなければ制度はあっても使えません。アイヌの実態に合わないのです。未来を創造する子弟の教育としては、母語アイヌ語を学ぶ民族学校の創設をはじめ、高等教育をも含めた、低所得者層の子弟をも大切にする現実にあった教育政策が必要です。

私たちは自分たちでできるところから始めています。アイヌ刺繍を再現し、現代の社会に伝える仕事……。その仕事を通して、民族として生きる大切さがわかりました。

アイヌ民族自立法制定を今急がねばならないときですが、私たちが民族として誇りを持てるよう、子どもたちの教育に対してきちっとした対策を立ててもらわなければ、アイヌ民族自立法が私たちのものにはなりません。教育を大切に思う国の政策が必要だと思います。

川村兼一 すばらしい祖先の知恵「アイヌ文化の再興」

アイヌの代表的な儀式、イヨマンテについて話したいと思います。イヨマンテは熊祭りとして日本はもとより、世界的にも知られています。アイヌは狩猟と漁撈の民族であって、自然界、動物と共に生きてきたものです。世界中の先住民族とも共通したものがたくさんあると思います。

私は2年前と5年前にイヨマンテを行ないました。イヨマンテは正しく言うと、動物の魂を送る儀式のことです。ヒグマやキツネ、タヌキ、それからシマフクロウなどに対するものがあり、何度も敬虔な祈りを捧げて、神の国へ魂を送り返すことであります。

この行事は昔は毎年行なわれていましたが、今や十数年とだえていたために、復活させるにあたって非常に苦労がありました。最初にアイヌの伝統的な家、チセを建てることから始めました。そしてこの準備段階で、昔の機械や釘などのない時代であっても非常に合理的に考えつくされていたアイヌ文化のすばらしさに感心させられました。また、ヒグマを飼うにあたっての行政面での様々な手続きや、動物を殺すのは残酷だといった動物愛護協会からの抗議など障害もたくさんありました。

なんとかこの行事を無事に終えて、今、このイヨマンテを行なうことによってアイヌの文化を我々が次代へと継承したい、そして貴重な文化を、世界の先住民にも負けないよう、これからもっともっと復活させていきたい、と思っています。

小川隆吉 政府の姿勢にいらだち「国連世界先住民族会議から」

私は昨日の夕方、ジュネーブから帰ってきました。5日間の会議の全日程を、この目と耳で確認して帰りました。ここでは、5分間ということで時問がありませんので、とりわけ会議の中で出された日本政府からのアイヌ民族を民族としてみない、そして私たちを冒涜しているのではないかというようなレポート、その中身をこれから報告させていただきます。

私たちは2つのレポートを国連に出すことになりました。その1つは、私たちが長い間の迫害と、略奪に明け暮れた民族破壊の現状を訴え、その回復のための政策を政府に要求している、それに対して政府が今なお窓口すらつくらないという実態について報告しました。これに対し政府は、過去2年前に行なった答弁と比べ、変わったことは2つだけなのです。その1つは、アイヌに対し、かつては“アイヌの人びと(Ainu People)”という言葉を使っていました。ところが今回は、これを反対にひっくり返します。“ピープルズ・アイヌ(Peoples Ainu)”というふうに日本政府は変えてきました。いずれにせよ、これは、いまだに私たちの要求を政府がのんでいないというれっきとした証しであります。

もう1つ、私たちの2つめのレポートは、長い間、民族政策を持たない政府が、今日においてもまた、二風谷地域のアイヌの宝として長い間持ち伝えてきた民族の領土にダムを作るという。これに対する抗議のレポートを出しました。これに対して政府は、先ほどのアイヌ民族の復権についてのレポートでもそうでしたが、2番目の二風谷問題でも同様です。自分の都合の悪いところは何一つ触れない。これが日本政府の態度であります。で、触れたときにはどういうふうに触れてくるかというと、二風谷問題ではこういう形のレポートが出ました。これはまだ英文のままで、全文は訳されておりませんが、重要なところだけを訳して持って帰りましたのでそれを読み上げます。

「二風谷については過去に多くの洪水があり、特に1962年8月と1975年8月の洪水は地域に大きな損害を与えた。よって政府は、洪水防止と水利のためにダムの建設を決定したものである。」

私たちは、現地からはこのような報告は聴いておりません。この事実を確かめ、ありのままの姿を、この次に開かれる人権委員会に間に合うように国連に送ってほしいというふうに私は依頼されて帰ってきました。

最後になります。私がジュネーブを離れる最後の日、8月の4日午後3時すぎに、このような質問をフランスの記者団から受けました。

「フジヤマのゲイシャ、宇野は今どうしていますか?」

私は本当にジャパンというバッチをつけてジュネーブの国連会議に立っている5日間、つらい思いをしました。

横山むつみ 民族の文化を守る努力「東京のアイヌの生活」

東京には2、3のアイヌの団休があり、私は「関東ウタリ会」と「ペウレ・ウタリの会」に入会しております。そして、今日は「ペウレ・ウタリの会」のメンバーと、ここに出てきております。

北海道では就職が難しい、あるいはアイヌ差別から逃れたいといった様々な理由から、北海道を離れ、上京するアイヌがたくさんおります。そういったアイヌの希望もあり、1974年に東京都ではアイヌの実態調査を行ないました。この調査では、401世帯、679人のアイヌが確認されております。希望を持って道外に出ていっても、差別があったり、就職ができず安定した生活が得られないというのが実態でした。第1回の実態調査の結果を受けて、東京都では新宿職安に1名のアイヌ人のウタリ職業相談員を配置し、これは現在も続いております。また、道外に出てもアイヌ文化を学びたいという希望が高く、実に90%以上のアイヌが、歌、踊り、言葉、アイヌ刺繍を学ぶ場所がほしいと望んでいます。

東京には、アイヌが気軽に集まれる場所が1つもありません。この5、6年間、アイヌが気軽に集まれる場所が東京やその周辺にあってもいいのではないかということで、東京都や国に要望活動をおこしています。東京都では、15年前のデータでは何もできないので再度、実態調査をやってくれということで、昨年1988年の7月からスタートし、今年の2月に調査は終わっております。第2回のこの実態調査の結果報告書は、この秋9月にあがる予定です。アイヌの人口については400ちょっとの世帯ということで、15年前の調査のときとあまり変わっておりません。

どこにいても、アイヌはアイヌです。アイヌの民族性、アイデンティティを忘れたくないという強い思いがあります。自分たちのできることからということで、今年の2月から毎月1回、「母と子のアイヌ語教室」という名で、千葉大の中川先生に教えていただいている、そういう教室を始めました。

出典:ピープルズ・プラン・21世紀・北海道「歴史を担って未来へ向かう/世界先住民族会議記録集」(1989年)p.74-77
この記録集は、全編がPDF化され、「ピープルズ・プラン21世紀アーカイブ」で公開されています。ピープルズ・プラン研究所の許可をいただき、一部をテキスト化して本サイトに掲載しています。
http://www.pp21archives.org/pdf/PP21-J00018.pdf

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